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#日記
愛が全てだと思わないこと
不意な孤独。家族も友達もいる。愛に飢えてるわけでもない。当然みんな死ぬまでどこか手応えのないものを感じながら生きていく。一瞬の些細なことで喜怒哀楽が吹き出してくる。惨めなときもあるだろうし、歓喜の時もある。
愛がすべてだと思わないこと。自分1人の力で変えられないものを、受け入れる心の静けさを持つこと。特に、愛が全てだと思ってしまうと、時に自分の姿勢が崩れてしまう。「誰かに勝ちたい」あるいは「あの
意気込みに期待せず、やったことを見る/見せる
友人とお互い感情的になり、議論がぶつかることなく話が終わった。
あとで冷静になったときに、「うん、たしかに彼が言ってたあの部分は正しいよね」とか「アレは自分がもっと冷静に伝えてれば理解し合えたよな」とか、いろいろ考えました。
でもまあ、起こってしまった揉め事は取り消せないので、時間をおいてあらためて話せたらいいかなと思います。
僕から歩み寄ってみて、
それでダメならしょうがないし、
そんなも
自分の中身が枯渇してきたので、一旦ストップするぞ
最近、アウトプットが多かったからか、なんか自分の中身が空っぽになってる気がします。
なので、一旦外に出すのはストップして、じっくり蓄える時間を過ごそうとおもう。
3ヶ月くらいアウトプットし続けてきたので、さすがにネタ切れだし、アウトプットしてもなんだか面白くないなーって感じがしてきてたんですよね。
なのでここは一旦止めて、スローダウンしようかなと。年末のイベントもコロナで延期になったので、ちょうど
最近のこと(9月後半)
最近、本を読んだり、映画・ドラマを見たりする時間が減ってきてるな。
昼間誰かしらと会ったり、10月にやるイベントの準備や打合せをしたりして、んで夜は仕事。休みの日は、これまた昼間に何かしら用事ができて、夜はどかーんと飲みに行くことがほとんどです。
もちろん誰かと会って喋るのは楽しいので、現状に不満があるとかそんな話じゃないんですけど、例えば見たいものを見れてないとか、読みたいもの読めてないとか
近しい人が亡くなった
きょう、ぼくの師匠の妹さんが亡くなられました。
まだすごくお若いです。
お店にお母さんと2人で来て、妹さんのお猪口も用意し、一緒に献杯をさせて頂きました。
自分も5年前に30歳のいとこを亡くしているので、誰かを失った人の気持ちは、想像できます。
カウンターに座った師匠が目をおしぼりで覆っている姿を、真横で見ました。
気丈に振る舞ってはいたものの、会話が途切れた時に出るお二人のため息が、現
「きょう、結婚したんです。」ってお客さんに言われた日のこと
飲みに連れてってくれるようなお世話になってる常連さんの話を小耳に挟みながら仕事をしてたんですが、その中で印象に残ったことがあります。
「今回のコロナで、皮肉にも良かったことが、あらゆる業界に言えることだけど、いい飲食店とそうじゃない飲食店がふるいにかけられたこと。基準は、お金儲けだけじゃなくて、自分の仕事に日頃から何年も真剣に取り組んできたお店だよね。」と仰っていて、うーん!と納得しました。
才能がない人が生き残る道
ゼロイチで何かを作ることは向いていないと、ここ数年感じる場面が増えてきた。才能はないと思います。
ただ、他者の人間関係のバランスを取ったり、なにかを引継いでそれを大きくしたり残すことは向いている気がする。
才能ある人たちの近くにいることも多い。ポジショニングが上手いとでも言うんでしょうか。
何かの本で読んだんですが、才能がない人が生き残る道は、才能がある人の近くにいることです、と聞いたことが
人は干渉されたくないけど、知って欲しい生き物
人の関係性についてもやもやしてたことが、タイトルの一言でスカッとしました。お店の常連さんから聞いた言葉です。
似て非なるものの極みで、この違いってなんだろうなぁと考えてますけど、結論は出てません。
でも、これだよなぁと思いました。
多様性って言葉だけが独り歩きして至る所で分断が生まれてますが、多様性が大事なことは当たり前で、多くの人は相手との間に線を引くことが多様性だと勘違いしてる気がします