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キリスト教およびキリスト教徒

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#カトリック

古今東西の文明を包み込む京都「祇園祭」──禁教時代に「聖書物語」を飾った函谷鉾(「神社新報」2002年1月14日)

古今東西の文明を包み込む京都「祇園祭」──禁教時代に「聖書物語」を飾った函谷鉾(「神社新報」2002年1月14日)

 日本三大祭りのひとつ、京都・八坂神社の祇園祭について書こうと思います。

 昨年(平成13年)9月11日のアメリカでの同時多発テロ事件に端を発するアフガニスタン戦争はすでに最終局面を迎え、今度は他のイスラム諸国を標的とする第二段階に進みそうな気配です。「文明の衝突」という表現を否定する人は多いのですが、そうした側面は否定しても否定し切れないようにも思います。

 テロ事件の容疑者にはアフガン人は

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影をひそめた「国家神道」批判──「終戦記念日」カトリック大司教談話を読んで(平成22年8月29日)

影をひそめた「国家神道」批判──「終戦記念日」カトリック大司教談話を読んで(平成22年8月29日)

 日本のカトリック教会(司教団)は、過去30年間にわたり、広島の原爆記念日から終戦記念日までを、平和のための祈りと行動の期間と位置づける「平和旬間」と定め、平和アピールを続けてきました。

 今年は司教協議会会長の池長潤大司教名で談話が発表されました。その内容は、これまでと同様、カトリック2000年の歴史を偽るかのような観念的で危険な平和主義ですが、「国家神道」批判が影をひそめたのは目新しい傾向で

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当てはまらないカトリック司教の靖国批判。糸永司教にしてもなお(平成19年12月20日木曜日)

当てはまらないカトリック司教の靖国批判。糸永司教にしてもなお(平成19年12月20日木曜日)

 この一年ほど、日本のキリスト教、とくにカトリックの指導者に対する批判もしくは問題提起を、一般のメディアで何度か書いてきました。この10年ほど、キリスト教について学んできて、靖国批判や歴史批判をする司教様方の政治的言動があまりにひどいものと映ったからです。(それらは私のサイトに掲載してありますので、ご関心のある方はどうぞご覧ください。)

 しかしけっして教会指導者すべてが左傾化し、異端化している

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信仰を忘れた聖職者たち──性犯罪、献金横領、そして政治的暴走と目を覆うばかり by 木下量煕+斎藤吉久(「正論」平成19年11月号)

信仰を忘れた聖職者たち──性犯罪、献金横領、そして政治的暴走と目を覆うばかり by 木下量煕+斎藤吉久(「正論」平成19年11月号)

▢1 投票日当日の政治講演ミサ

 参院選投票日当日の平成19年7月29日、さいたま市のカトリック浦和教会(司教座聖堂)で行われる聖日ミサに、多くの信徒たちが注目しました。埼玉、栃木、群馬、茨城の四県で構成されるさいたま教区の最高責任者であるT司教が、ミサの説教を利用して政治講演を行うとの情報が走ったからです。

 教会の教義(カテキズム)は、政治に直接介入することは聖職者ではなく、信徒の任務だと

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大司教文書が書き換えられた理由──「検証していない」とみずから説明(平成19年6月6日水曜日)

大司教文書が書き換えられた理由──「検証していない」とみずから説明(平成19年6月6日水曜日)

 先月、「書き換えられた東京大司教の文書」を書きました。信教の自由と政教分離をテーマに、日本のカトリック教会の指導者が昨秋来、発行した小冊子シリーズとそれらをもとにして今年3月に出版された合本を比較すると、大司教の文書の根幹部分が書き換えられていることを指摘したのでした。

 大司教の文書は信徒の靖国神社参拝を認めた1936年のバチカンの指針を再考察したもので、時代が変わったから、

「そのまま適

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ふたたび岡田東京大司教様へ──なぜそんなに日本批判に血道を上げるのですか?(「正論」平成19年6月号から)

ふたたび岡田東京大司教様へ──なぜそんなに日本批判に血道を上げるのですか?(「正論」平成19年6月号から)

 岡田武夫東京大司教様、前回の手紙はお読みいただけたでしょうか? 近年の教会指導者の政治的言動には見過ごせない疑問点が多々あり、杞憂(きゆう)であればと願いつつ書簡をしたためた次第です。けれども懸念はけっして私だけではないようで、ある信者の方から届いたお便りにはこう書かれていました。

「拉致(らち)被害者の家族を支援するならまだしも、主権を侵している北朝鮮の側に立った発言を繰り返す司教様もおられ

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書き換えられた東京大司教の文書──バチカンとは異なるメッセージ(平成19年5月31日木曜日)

書き換えられた東京大司教の文書──バチカンとは異なるメッセージ(平成19年5月31日木曜日)

 きのう、来日した台湾の李登輝・前総統が靖国神社参拝を検討している、と伝えられます。
http://www.asahi.com/international/update/0530/TKY200705300170.html

 前総統は熱心なクリスチャンといわれます。クリスチャンの靖国参拝といえば、大平首相の参拝が思い起こされますが、李登輝さんの参拝が実現すれば、マスコミが報道しているように、中国の

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岡田東京大司教様、靖国神社にお詣りください──国に命を捧げた信者たちが待っています(「正論」平成19年5月号から)

岡田東京大司教様、靖国神社にお詣りください──国に命を捧げた信者たちが待っています(「正論」平成19年5月号から)

 岡田武夫東京大司教様、(平成19年)2月下旬に日本カトリック司教団が発表した「信教の自由と政教分離メッセージ」を拝読しました。

 今回の司教団メッセージは戦後60年の「非暴力による平和への道」に次ぐものでした。450年にわたる日本キリスト教史を振り返って迫害を強調し、とくに戦前、教会が戦争協力を迫られた歴史を反省したうえで、信教の自由の尊重を訴え、目下進行中の憲法改正の動きに対して「政教分離原

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教育基本法「改正」反対へ暴走する司教たち──カトリックの教義を逸脱し、歴史をねじ曲げる(月刊「正論」平成19年2月号から)

教育基本法「改正」反対へ暴走する司教たち──カトリックの教義を逸脱し、歴史をねじ曲げる(月刊「正論」平成19年2月号から)

1、ブログを開設した元教区長の胸中

 生きることに疲れ果て、神の声を求めて教会の門をたたいたとき、そこが神の館どころか、教会を隠れ蓑にした無神論者の巣窟であり、「宗教弾圧国家」に連なる政治活動家の秘密アジトだったとしたらあなたはどうしますか。もしかすると、それは冗談でも、仮定の話でもなく、日本のカトリック教会の現実かも知れません。

 教育基本法改正をめぐる国会での攻防戦が最後のヤマ場を迎えよう

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信徒ら2600人が参列した長崎の「二十六聖人」追悼ミサ──なぜ「迫害」は起きたのか(平成19年2月6日火曜日)

信徒ら2600人が参列した長崎の「二十六聖人」追悼ミサ──なぜ「迫害」は起きたのか(平成19年2月6日火曜日)

 昨日、長崎の二十六聖人殉教地で追悼のミサが行われ、信徒ら2800人が参列したそうです。二十六人がこの地で「殉教」したのは410年前の2月5日でした。

 近世のキリシタン迫害はとても正視に耐えられるものではありません。宗教的に寛容なはずの日本でこのような宗教弾圧が起きたことは信じがたいほどです。だとすれば、なぜそのような「迫害」が起きたのか、たとえば二十六人はなぜ「殉教」することになったのか、そ

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「政教分離」カトリックの論理破綻──昭和七年「靖國神社参拝拒否事件」の真相(「神社新報」平成18年1月20日から)

「政教分離」カトリックの論理破綻──昭和七年「靖國神社参拝拒否事件」の真相(「神社新報」平成18年1月20日から)

 昨年(平成17年)十一月に来日したブッシュ米大統領夫妻は京都での日米首脳会談に先立って、小泉首相とともに臨済宗・北山鹿苑寺(金閣寺、有馬頼底住職)に参詣した。

 夫妻は首相に出迎へられたあと、住職の案内で境内を首相と一緒に散策し、金閣の本尊の前で首相から拝礼の作法を伝授され、合掌したと伝へられる。

 大統領が日本の代表的な社寺を参詣するのは今回が初めてではない。

 平成十四年の来日では明治

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コロンブスは英雄か犯罪者か──カトリック戦略が招いた悲劇(「神社新報」平成12年9月11日号から)

コロンブスは英雄か犯罪者か──カトリック戦略が招いた悲劇(「神社新報」平成12年9月11日号から)

 来月(10月)12日は、アメリカでは「コロンブスの日」である。1492年のこの日、クリストファー・コロンブスが「新大陸」を「発見」したというので祝日と定められている。官公庁や銀行、学校は休みで、ニューヨーク5番街などでは華やかなパレードが繰り広げられる。

 11月のサンクスギビング・デー(感謝祭)や7月の独立記念日の賑わいとはほど遠く、ほとんど行事らしい行事のない地方もあるが、他方、中米では近

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世界が伝えた法王の「懺悔」 ──「異教文明破壊」の「告白」は十分か(「神社新報」平成12年4月10日)

世界が伝えた法王の「懺悔」 ──「異教文明破壊」の「告白」は十分か(「神社新報」平成12年4月10日)

 平成12年3月12日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がバチカンの聖ペテロ大聖堂で特別のミサを行い、過去2000年にわたる教会の過ちを認め、神に赦しを求めた--というニュースが世界を駆けめぐった。

 法王はキリスト生誕から2000年目に当たる昨年を特別に宗教的意義の深い「大聖年」と位置づけ、新しい「解放」の時を迎えるため、ここ数年、病める老躯にむち打って世界を飛び回り、不信と対立の関係が続いてきた

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