いつ辞めても悔いはない
職場のひとが立てつづけに退職してしまい、とてもさみしく思っている猫目です。みなさま、おはようございます。
尊敬していたひとや仲良くしてくれていたひとが辞めるとなると、本当にさみしいです。というか、不安です。どちらかというと自分はこれまで退職する側(転職が多かった)だったので、これだけぽーんぽーんとひとが居なくなってしまうとさすがに心が痛い。
けど、それは仕方のないことでもあります。日本には約360万社の企業があって(「付属統計資料」による)とくに中小企業において人材の流動は激しく、長期的な人材の確保はむずかしいですし、転職があたり前の時代になってきたのも事実です。
そんな折に、前職で上司だったエンジニアTさんとひさしぶりにお電話をしました。そのときにTさんが「僕は(いまの会社を)いつ辞めても悔いはないですね」とおっしゃていましたが、なるほど。
辞めても後悔がないのなら、環境を変えて次のステージへ進むのは大有りです。猫目は彼の言葉を聞いて、もし辞めるのなら後悔しない程度になってから辞めようと思いました。
いつ辞めても悔いはないなんて……かっこいいが過ぎます。
毎日の仕事にやりがいがないとか、なにか不満があるとか、上司と馬が合わないとか、そういった理由で辞めるのは少し違っているのかなと、あらためて考えさせられるきっかけになりました。
とはいえ、人間関係だけはどうにもならないので、その点で悩んでいる方はご自分の身と将来のためを思って無理せず離脱したほうがいいと思います。改善の余地がないのなら、今すぐにでも。
体調を崩してしまっては元も子もありません。今いる環境からフェードアウトするのは愚かな行為でもなんでもありません。賢明な判断です。
あと、あからさまに現在就いている会社よりも、べつのところに行ったほうが成長につながると確信できる場合も同様ですかね。
たとえば、猫目の場合は一にも二にも文章を磨いていきたいので、文章に触れる仕事がしたいわけです。それなのに本来の目的とかけ離れた業務を毎日のように繰り返していては焦燥が募るばかりか、心がすさんでいきます。
とくに専門性を極めたいのならば尚更だと思います。以下はペット関連の仕事に従事していたころの会話の一部ですが、専門性についてよく物語っているなと最近になって気がつきましたのでご紹介します。
それは、ある子犬のレッスン中のことでした。
前を闊歩していた担当ドッグトレーナーさんが、ふいにうしろをふり返って言います。
「で、猫目はこの先どうしていきたいの?」
この唐突の問いかけに「は?」と言いかけた口をあわてて噤んで、猫目はお散歩レッスン中のトイプードルもろとも足をとめました。かたわらのトイプードルのうるうるした瞳がじっとこちらへ向けられます。
お利口で優秀なトイプードルと、革ジャン姿の日に焼けたいかついドッグトレーナーさんに視線を送られてだんまりの猫目に、トレーナーさんはさらに続けます。
「この業界でなにかしたいんだったら、あれだね」
なんですかね?
「的を絞ったほうがいいよ」
的外れな回答にならないよう、猫目は沈黙をつらぬいて耳をそばだてます。するとトレーナーさんからさらなる不意打ち的質問が飛んできます。
「で、猫目はなにが好きなの、犬種」
「えっ。それは普通にポメラニアン……ですけど」
「じゃ、ポメラニアンにしぼったほうがいい。ポメラニアンを知り尽くしてさ」
「それはもっと専門性を高めろってことですか?」
「まあそう。猫目だって素人じゃないんだから、犬種によって特徴とか性格が違うのはわかるでしょう」
「はあ」
「じっさい全部の犬の専門家になるのはむずかしい。専門家っていうのは、1つのことに全精神を注力してはじめて専門家っていうんだからさ。獣医は動物の知識もそうだけどそれ以前に医術が根本。じゃないとそもそも治療なんて出来ないからね。比重はそっち(医術)」
トレーナーさんが真っ黒でツヤツヤのサングラスをかけていたからかもしれません。へんな威圧感が漂っていたといいますか、なんだか怒られているような気分でした。
「俺はトレーナーっていう枠内でも、ドッグショーに絡んだトレーニングを専門にしてる。だから、うまくいっているでしょ」
でしょ……と言われましても困りますが。さすがのトイプードルもこのえんえんと続きそうな会話についに地面に座りこんでしまいました。賢い。
「だから猫目もポメラニアンだったら、ポメラニアン一択に絞ったほうがいい。そのほうが深みが出るし、自分だってたのしいでしょ」
「そりゃたのしい……かもしれませんね」
「極めるってそういうことだと思うんだけどね。それがあっての人生じゃんか(ハハハ)」
豪快に笑い飛ばし、先を歩きはじめたトレーナーさんにしばし唖然としながら、猫目はトイプードルのリードを引いてのろのろついて歩きました。
と、まあ。
当時の猫目は阿呆の骨頂だったので、この会話を日記に残したものの、トレーナーさんがなにを言いたかったのかその真意はさっぱり不明でした。ただ自慢話をしたかったのかな、くらいにしか思っていなかったのですから惜しいことをしたものです。
しかも、日記に書いたのはとつぜん怒られた気分になって腹が立ったからで、そこからなにか教訓を得たいと思ったわけではありません。
ところが
こうして数年たった今、当時の出来事を日記というツールをとおして学びを得ているのです(日記の価値は読み返してこそです)。
長くなってしまいましたが、なにを言いたかったかというと、なにか1つに焦点をあてて専門を極めていくことが人生において重要なポイントになるということです。
それこそ、価値に繋がります。
急に重たい話になりますが、だれにだって寿命があり、時間は平等に過ぎていきます。いざ死ぬときになって「なんにもしなかった」あるいは「なにをやってきたのかわからない」とは言いたくありません。
どうせなら「文章を書いてきた」と言いたい。文章を書いて、届けて、残してきたんだ、と胸を張って言い切りたい。
だから
猫目は今の仕事(書く仕事)を「いつ辞めても悔いはない」と言えるようになるまで続けていくつもりです。
今は辞めたら悔いしか残らないので。正直いって文章を書くというのは、たのしさよりも辛さの割合のほうが高いですが、それでも最終的には「書いてよかったと思えます。
みなさんもなにかを辞めたいと思ったときには一度立ち止まって問いかけてみてください。
それを(そこを)辞めても悔いが残らないかどうか。
それでは、また来週!
本日もさいごまでお付き合いいただきありがとうございました!
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