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6月6日に雨ざーざー降って来て 〜弔う勇気〜

【この人だけは、知っている】
 『棒がいっぽん』(高野文子著、マガジンハウス)の中に「奥村さんのお茄子」という話がある。
 私はなぜだか、子供の頃から漫画をあまり読まずに大きくなってしまった。面白いよと勧められて貸してもらって読んだり、学生向けの安アパートをしていた実家の貸し部屋に卒業する学生兄ちゃんたちが置いていった漫画雑誌のページをめくったりしたことはあるけれど、別にそこからハマっていくわけでもなく、自ら進んで読みたいと思って買ったりねだったりした記憶も無い。
 そういうふうに、ほとんど漫画とは縁がなかったくせにリキ入れて絶賛するのもナニではあるけれど、私は、高野文子の漫画が、大好きだ!単行本は全部持っている。時々読み返す。


【奥村さんのお茄子】

 今年の6月6日。ああ6月6日といえば、とふと思い出して「奥村さんのお茄子」を久しぶりに読んだ。これは、歌でいうところのアルバムタイトル曲というかアルバムフレーズ曲に相当する、タイトルフレーズ話なんだよな。
 「奥村さん」にとってはとりたてて何の日でもなかった6月6日---私にとっての5月23日のような(笑)---それも20年前の6月6日の、お昼に食べた茄子をめぐって、とある理由でそのあたりの記憶を執拗に思い出してもらいたがる異星人との、距離感を保ったままのヘンテコな絡みで話が進んでゆく。
 そこでいつの間にか辿り着く、日常の一瞬についてのなんちゃないことの連鎖。そのつながりの中にこそ残され、存在することのできているその瞬間の自分。あるいは、ヒト---以前お世話になっていたヒト、顔を見知ったヒト、顔も知らない、けれどその行動にはどこか共感できる、ヒト。その瞬間と動きの連鎖の儚さ、脆さ、あやうさ、当たり前さ。

 「聞かれなかったから答えなかったけど、覚えてたら答えたかもしれませんね
  楽しくてうれしくてごはんなんかいらないよって時も
  悲しくてせつなくてなんにも食べたくないよって時も
  どっちも六月六日の続きなんですものね
  ほとんど覚えてないような、あの茄子の
  その後の話なんですもんね」
  (『棒がいっぽん』「奥村さんのお茄子」より)

【日常の無意識】
 ふだんやり過ごしてしまう日常を描ける繊細さは、生きていて楽しかろう。小田和正が「今何て言ったの 他のこと考えて 君のことぼんやり見てた」と書いた歌詞があって、あ、『YES, NO』という曲か、オフコースの。私は色々聴きあさっていた大昔の歌少女なりに、へー切なく静かな場面の珍しい歌詞だ、と強い印象を持っていたものだが、それから何年も経ったある時、松任谷由実がそのフレーズを「無意識が表現できている歌だ」と絶賛しているのを聞いて、あ〜言われてみれば無意識か、とまた、へーなるほどと思い直したのだった。

『棒がいっぽん』「奥村さんのお茄子」より。


【夕方の会】

 思えば私も、自分の作る歌では、無意識からふと意識を戻したような瞬間の日常を描こうとしていたのだ、とその辺で気がついた気もする。夕方のとりとめのなさが嫌いなのに、私の歌の中には夕方や夕陽の歌がいくつもある。歌を形にしようとしている時には、沈みかけの朱色に歪んだ日の玉を意識の中で見ていることが多いかもしれない。
 あの夕方のとりとめのない中途半端さが嫌いだと思っていたけれど、実は好きってことなのかな、などとある時、人と話していて、じゃあこれからじっくりと夕方の中途半端な時間帯の良さをお茶でも飲みながら味わうことにしようよ、と話がまとまり、「夕方の会」なるものを結成したことがあった。
 けれど、中途半端を楽しむという趣旨の会だけあって、意気込んだのに一度も集まったことが無いという中途半端なまま、その会は立ち消えした。のだと思ってはいるが、中途半端なだけに、もしかしたらまだ継続しているのかもしれないな。

むー・・・


【普段使いのものたちの力】
 日常の何気なさを描ける力は大きいはずだ。そんなこんなを考えていた6月6日、高校の同級生の訃報が届いた。その人自身にとってもそのご家族にとっても、人生の中で大きく刻み込まれる日だ。残された人たちの心はそれぞれ、これからどんな形で日常に戻ってゆくのだろう。
 時間軸上に時々訪れる凸凹な地点を平らに戻してゆけるのは、積極的な慰めの態度よりも、その人の傍で黙って日常を表現しているさまざまな作品たちだったりするのではないか。普段使いの器や、服や、何気ない時間を描く絵や言葉たちは、凸凹で立ち止まる人を静かに、着実に、新たな日常に戻してゆく、陰の力となっているはずだ。
 ふだんは見向きもされない日常を丁寧にていねいに縫い留めた服に再び袖を通し、ふだんのルーティンの中のお茶の暖かさをカップに感じ、日常の心のひだを映し出した歌や絵に触れた時、きっと心の凸凹は安らかな形で一段階、平らに近づき、それまでそこに溜まっていた涙が押し出される。そうやって、どこの誰だか知らないその人が少しだけ楽になる瞬間が、日常を形にし続ける職人が報われる時なのだろう。


【日常を描く勇気】
 高野文子の誰かとの対談を読んでいたら、たしか、作品がわかりづらいと言われないか、とかいうような質問に対して、わからなければ何度も読めばいい、バカを啓蒙するために書いてんだから、みたいなことをズバリと言っていて、その時から私の中には高野文子は爽快感と共にある。
 その頃、自分の歌詞がわかりづらいとか、いつまでも客が増えないとかって、毎月歌いに出かけていた東京のライブハウスで言われ続けてイライラモヤモヤの中にあった私は、その高野文子大せんせいのお答えに、スッキリするやら憧れるやら、と同時に、そこまで言い切れない、言う場所もない自分に絶望するやら、してもいた。

 それでいつからか私の心は、自分のやろうとすることはいつもわかってもらえない、という下り坂をまたもや転がって、自分の出そうとする手足を自分でつっついて引っ込めるような意識ばかりが増幅してしまって、手足を出せないのが日常となって心が縮こまって固くなって、ただの歌えない塊となってしまったんだな。
 歌いようがない、言葉一つも発せられない、カメみたいなもんだった。コロン、と甲羅に閉じ籠もって干からびきっていた。
 歌えない心は、一緒に音楽をやるはずだった同居人の姿にも投影された。なんで私はいつもいつも歌えない環境にいるばっかりなんだ、とイラついた。関係はうまくいかなくなった。
 東京で歌っていた時に知り合ってホントにしっかり私の歌を聴いてくれた同い年のオドリのヒトが、途切れることなく力強くオドリ続けている姿が、眩しかった。気持ちの中で、その人に近づけなくなった。

 それを、すべてを、ほどいていく6月だ。すべて6月6日の続きなんですものね。瑞々しくほどく。じわっと手足を緩める。自分にしか感じ取れない自分の日常の感覚を、これ以上ネグレクトしない。
 そう簡単にはいかないとも十分知っている。経験則だ。だってこれは、私にとって大きなことだから。タロットカードで言うと、大アルカナが並びまくっている状況だ。必ず、卒業検定試験のように、お試しがやってくる。心をへし折るあの手この手がやってくる。

 ーーーそんな感情になっても、あんたはもう、手足を引っ込めたりせず、力強く瑞々しく自分を解放していけるのかぇ?

 ーーーはい、神様、あるいは私を引き留めていた私の中の私。もう私は、振り回され続けることに飽きました。自分を振り回していたのは自分だったと、気づいたので。

 また振り回されかければ、おお、この風は私が起こしているのだよと、己に気づこう。封じ込めた結界から、これまでの言葉を解き放つ。形にせぬまま、あっけなく手放して宙に戻してしまった言葉たちの、弔いのため。それは、勇気だ。いつかどこかで、誰かの凸凹が少しだけ平らに近づくかもしれない。

雑誌掲載時の原稿のほう。(『ユリイカ』第34巻第9号)



= 夕陽が射してるものなのよ =

その時 夕陽が射していたの
揺られて帰る窓の外から
横には 高校生がいたの
ぎりぎりの真横からの光に
貫かれていたの 私たち

目を閉じたの ちょっと途切れたの
気がつくと 
とっくに過ぎた駅のこと 浮かべる

落ち着かず 向かいのホームに
姿 探した頃もあったのよ
流れてゆく 運ばれてゆく
行って帰って 繰り返しながら
いつの間にか ただの通過駅

薄紙を貼り重ねてゆくように
気づかぬ程度に 景色は薄れてゆくのよね
そして時々 驚くのよ

そんな時 夕陽が射しているの
揺られて帰る いつもの窓から
横には高校生がいるの

今しかないよな気がしてた頃の
制服のわたしと 今の私が
ぎりぎりの光に 突き刺されてる
あの子はまだ気づいてないことだけど
ぎりぎりなのよ みんな
ぎりぎりの時なのよ
それが つながる瞬間なのよ

そんな時 夕陽が
そんな時 夕陽が
そんな時 夕陽が射しているものなのよ

さち・ド・サンファル!


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