さち・ド・サンファル!

言葉の周りで真剣に遊んでいると、歌や詩ができ、言語学を通過し、波動や言霊にも広がった。…

さち・ド・サンファル!

言葉の周りで真剣に遊んでいると、歌や詩ができ、言語学を通過し、波動や言霊にも広がった。人との繋がりも行き詰まりも、その枝分かれの先にある。そこでは時々目詰まりが起きる。シロートの歌かぃとか、大学教授ですってスゴイデスネとか。浅はかな空気を今日も噛みしだいては、吐き出す。

最近の記事

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青春の鼓動Ⅱ

なんと言ったらいいかな、 もっと、 テキトーに歌いたい。 なんと言ったらいいかな、 もっとこう、 淡々と語りたいんだ。 自分の固い腹を揉みほぐす感じかな。 さち・ド・サンファル!

    • 10月19日は、ご尊家の亡き愛猫おらく号一周忌。

      まる一年経ったなー。おらくが光の森に行ってから。 というか、おらくが重たい重たい肉体で喘ぐのをやめてから。 9月のいつだったか、ペット霊園から封書が届いた。 火葬をしてもらったところだ。 でも、私はこういう形式は、いいわ。 間にヒトが入ると、なんか気持ちが切り離されてしまうし。 火葬の前に般若心経は上げていただいたものの、そもそもおらくが仏教徒かどうかも聞いてなかったし。 とにかく今日は、おらくが薄い薄い息をつなぎながらでもただ生きていてくれることがどんなにありがたいこ

      • 発酵中!ゆるゆるに、ゆるし中。

        (姉妹編「大発酵!ゆるゆるに、ゆるしたろ。」の後編という感じでもある。でもこっちだけでもイケます。) 【被害者根性、加害者体質】  人は生きてきたようにしか死ねない。じゃ、どのように生きるか。  育てられたようにしか生きられない。  以前はそう思って、呪われた自分の環境に対して虚脱感しかなかったが、いやー、変えられます。・・・言い換えてみよう↓ 人は、意識を変えない限り、生きてきたようにしか死ねない。のだ。 意識を変えない限り、育てられたようにしか生きられない

        • 大発酵!ゆるゆるに、ゆるしたろ。

          【良か話】  先日あるブログで読んだ、お父様が亡くなられてその棺に絵を描かれたというお話、ほんとうに素晴らしい。  ステージが進んだガンのお家での療法、息を引き取られたタイミング、そして棺を絵や言葉でいっぱいにしてご家族が感謝の気持ちを表現されたというお話の一つ一つが、愛に満ちている。 何より、残されたお母様が棺に「楽しく生きる」と書かれたというお話、思わず天を仰ぐ。  そのお父様の、そしてご家族の、積み重ねてきた一日一日が浮かび上がります。素晴らしいお話を教えていた

          [夢シリーズ] 博多・中洲の古いクラブを再建する嫁。

          【夢のパターン紹介】  というわけで今回の夢はこの3パターンを総合した、過去生縁談もの・世は情け浮世の女房。 【博多・中洲のクラブ?閉店パーティ】  それなりにフロア面積のある、古いクラブ的な中洲のお店の、今日は閉店パーティ。クラブと呼ぶのか、私にはよくわからないのだが、お客のグループそれぞれが革張りのソファのボックス席にハマって、ダンスしたりカラオケしたりスペースもちょっとあるような。昭和の感じの。  それは成金の若い男の店で、心も姿も美しい奥様が仕切っていた。

          [夢シリーズ] 博多・中洲の古いクラブを再建する嫁。

          いっろいろ追悼する8月 〜特攻の翼から、老害まで〜

           2023年8月6日。戦争について考えざるを得ないこの日、福岡の物語を語る地元の劇団ギンギラ太陽's の演劇『幻の翼 震電』を観に行った。 福岡市から電車など乗り継いで1時間半近くの、マジのどかな大刀洗(たちあらい)町へ。東洋一と謳われた飛行場や航空関連施設のあった大刀洗。 【幻の翼 震電】  太平洋戦争の終戦間際、福岡で製造、試行されていた局地戦闘機「震電(しんでん)」は、B29の高度と速度を上回る性能と、飛行士の命をも守る理想とを兼ね備えていた。  「町を

          いっろいろ追悼する8月 〜特攻の翼から、老害まで〜

          そして誰もいなくなった 〜宮崎駿、ASKA、そしてあたくし〜

           宮崎駿が新しい映画を作ったというのが話題になっているようだ。2023年7月現在。やめると言っては話題になり、また作品を手がけてはそれが話題になる。「最後の閉店セール」継続中。  それはおいとくとしても、まず宮崎駿の名を耳にするたび、どうしても私の中には複雑な虚しさがよぎるんだ。 いなくなる序章【徹子の部屋】  ずいぶん前に、徹子の部屋で宮崎駿が話していた。  子供時代、戦時中。空襲を受けて皆が逃げ惑う中、叔父か伯父か知らんがその人が車を持っていて、自分はその助手席だ

          そして誰もいなくなった 〜宮崎駿、ASKA、そしてあたくし〜

          夏至を超えて

          【生命力いろいろ】  もう、夏至も過ぎた。太陽はマックス北から引き返し始めている。なのに北半球がやっと温められて熱を溜め込んで暑くなるのはむしろ秋分の方が近いぐらいの8月頃なわけだから、真夏の暑さっていうのは、まーあれだな、遅い。無粋。  以前はむしむししてくるこの季節があまり好きではなかったけれど、いつからか、むんむんと繁る草木の生命力を感じられるこの夏至の前後の静かな賑やかさを、とても心地よく感じるようになってきた。  私の心を覆っていた透明の鎧のような、重石のような

          6月13日は、桜桃忌。でした。

          【風が吹くと、桜桃忌】  言葉優先で私の記憶に刻まれている「桜桃忌」。桜桃忌とは太宰治の忌日だが、それは私にはあまり実感の持てるところではない。風が吹くと桶屋が儲かる方式で、昔の自分から派生して、派生して、最後に記憶に鎮座しているのが「6月13日は、桜桃忌。」ということに過ぎない。しかし、毎年6月13日には思う、今日は桜桃忌だ、と。 【ジャケ買い】  中学生の時、今で言うジャケ買いをした。ある時、テレビのCMでとてもキャッチーなフレーズの歌が流れていた。グリコアーモンドチョ

          6月13日は、桜桃忌。でした。

          6月6日に雨ざーざー降って来て 〜弔う勇気〜

          【この人だけは、知っている】  『棒がいっぽん』(高野文子著、マガジンハウス)の中に「奥村さんのお茄子」という話がある。  私はなぜだか、子供の頃から漫画をあまり読まずに大きくなってしまった。面白いよと勧められて貸してもらって読んだり、学生向けの安アパートをしていた実家の貸し部屋に卒業する学生兄ちゃんたちが置いていった漫画雑誌のページをめくったりしたことはあるけれど、別にそこからハマっていくわけでもなく、自ら進んで読みたいと思って買ったりねだったりした記憶も無い。  そういう

          6月6日に雨ざーざー降って来て 〜弔う勇気〜

          2014年8月の満月 〜闇と影の輪郭〜

          【眠れぬ十三夜】  今夜は満月か。一昨日、すごく肉体的に疲れていて、気がついたら椅子に座ったまま寝落ちしていた。もう風呂より何より横になりてぇ、とごそごそ布団を引き摺り出したが、こういうふうに居眠りの後にちょっとした動きをしてしまうと、その後は逆に目が冴えて眠れなくなることが多々ある。  1時間以上もぞもぞ、ごそごそと眠れない状況が続いてしまって、もう、今からでも風呂に入って体を芯から緩めるしかない!と布団から跳ね起きた。起き上がった私の影がぼんやり見えている。空を見ると満月

          2014年8月の満月 〜闇と影の輪郭〜

          生まれ変わりは白猫

           おらくは、尻尾の長い夕陽色の雌猫で、2010年の7月4日の夜、雨の中で出会った。仔猫がたったひとりでいるにはあまりに不自然な大道路沿いのカフェのそばで、雨の音にまじって微かに必死の鳴き声が聞こえた。生後1ヶ月ぐらいの小さな痩せっぽちだった。おらくの誕生日は6月1日と決めた。12年と4ヶ月半生きて、去年の10月、光の森に還って行った。  おらくの具合が悪くなっていく中、いろいろ私なりの手は尽くした。西洋医学の病院や、ホメオパシーを使ってくれる病院にも連れて行ったし、漢方のお茶

          6月1日は、真珠の日。

           もう10数年前のこと。思い立って、ちゃんとした貴金属を身に付けたくなり、6月初め頃に真珠専門店に入って行ってみた。  ガラスケースの中を覗き込みながら、いろいろと説明を聞き続けた。真珠の養殖の仕方から、真珠と並ぶダイヤなんかの石たちの、産地の土の成分の違いによる色味の違いや希少性の差など。ほんとにいろいろ。  やっぱちゃんとしたお店の人って商品のこと詳しく知ってんなー、と思いながら興味深く聞いては、ほぅ、ほぅと鳴き続けた。そういう事情がわかると楽しいしどれも欲しくなります

          6月1日は、真珠の日。

          五月の終わる夜は騒がしい

           何でもメモしとくのは、やっぱり大事かもしれんなぁ。引っ張り出したノートによると、2015年の博多の梅雨入りは6月2日だったらしい。早い。だからなんだ、とも思うが、なんとなく距離を置いて知ると、自分で自分に知らせてもらえている感じが、よい。  今年2023年もちょっと雨で涼しかったりぐずったりの空で、5月が終わる。 = 透明の螺旋 = 五月の終わる夜は騒がしい 咲きほころぶ香りという香りが 密度を深めて 闇の黒に濃厚な蜜の色を塗り重ねる 白い薔薇だけが 花びらで ぼう、と

          五月の終わる夜は騒がしい

          「バランスを以って、自画自賛せよ」

           ホメオパシーで定期的に個人的な現状を診ていただいているのだけれど、その最中というのは、ホメオパス(ホメオパシーの知識をもって、症状に対応したレメディを処方してくださる専門家)の方とただ話をしている間にも波動を測ったり、必要な修正をかけたりしてもらっている。  波動とか波長とか聞いただけで、ぅわー!ひっかがっくてき〜!と拒絶する人がいるようだけれど、逆にその拒絶にどこまでの根拠があるのだろう、とちょっと滑稽にすら感じる。  この世は全て音と光、つまり固有の波長を持っていると

          「バランスを以って、自画自賛せよ」

          5月23日 〜ブラウス一枚のあわい〜

           暑くもなく、寒くもない。ブラウス一枚だけで気温の変化を心配する必要もない。5月の下旬は、バラの香りが柔らかく澱んだところに季節と季節の「あわい」が見える、不思議な時季だ。  自分にとっては何の日でもない5月23日には、なぜか毎年、ああ何でもない5月23日だなぁ、と思う。最近急に開いてみた詩のノートは、もう8年も前にいくつか書きはじめてそのままにしていたやつだ。やろうとしては続かない気がしてしまう私は、自分がそういう無数の尻切れのコラージュでできていると感じる。  おろおろと

          5月23日 〜ブラウス一枚のあわい〜