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2014年8月の満月 〜闇と影の輪郭〜

【眠れぬ十三夜】
 今夜は満月か。一昨日、すごく肉体的に疲れていて、気がついたら椅子に座ったまま寝落ちしていた。もう風呂より何より横になりてぇ、とごそごそ布団を引き摺り出したが、こういうふうに居眠りの後にちょっとした動きをしてしまうと、その後は逆に目が冴えて眠れなくなることが多々ある。
 1時間以上もぞもぞ、ごそごそと眠れない状況が続いてしまって、もう、今からでも風呂に入って体を芯から緩めるしかない!と布団から跳ね起きた。起き上がった私の影がぼんやり見えている。空を見ると満月に近いまるまるとした月が黄色く覗いていた。
 真夜中過ぎの変な時間からお湯にゆっくり浸かって上がってきて、なんとなくあれ、猫はどこかなと見回すと、なんだ、薄暗がりの部屋の中、私の立っているすぐ側の椅子の上で寝ていたのだった。白黒ハチワレ猫で背中側が黒いので、薄暗がりの中で寝入っている背中を上から見ても、闇との境目は溶けかけてはっきりわからない。公園で見つけた夜もそうだった。


【あの夜の満月】
 ふるむは、今から9年前、2014年8月の満月の真夜中、近くの公園の小さい時計塔の足元で、草花に囲まれてひとりで寝ていた。まだまだ小さい、3ヶ月ぐらいの仔猫で、猫たちが棲息するあの一帯で、お母さんも近くにいたのかもしれないけれど、とにかくきちんとひとりで、クローバーの花に囲まれて寝ていた。
 あの時の感覚も、先日書いた白猫の絵のカップを地下街で見つけた瞬間のような、時間軸上の理屈だけでは並べきれない、点の重なりや入れ替わりを思わせる。

 その頃の同居人と、レンタル期限ぎりぎりの夜にDVDを返しに行った帰り、しゃべりながらいつも通る公園に足を踏み入れて、ほんとうに10歩かそこら、中途半端に進んだところでなぜか私はわざわざ振り返る。そして、その時のおしゃべりを中断してまで、こんなところにこんな洒落たもんが立っとったかねぇと、どこかの団体の寄付によるものであるらしい、鳩や平和の鐘的な飾りの付いた背の高い時計を見上げている。

 なぜ振り返ったのだろう。振り返って見上げたこと、時計か鳩か、その何かが目に入ったこと、こんなとこにこんなもんがあったのかと気づいたこと、・・・といったいくつかの場面の順番が、もはやよくわからない。
 後にも先にもそんなところのそんな時計は気にしたことがないのに、なぜかあの時は、気になった。のだろう。だろう、としか言えないような、ぐちゃっとした「流れ」だけがある。

 丸い時計とその周りの鳩と鐘は数メートルの高さにあって、それらを支えている足はシンプルな金属の柱だ。大人の腰の高さより少し低いぐらいの、軽くもたれたりできそうな、直径2メートル程度のがっしりした囲いの中に土が固められていて、金属の足はその中に立っているだけ。土の表面は、べつに見栄えのする花などが植えられているわけでもなく、ただ雑草が覆っており、暗い夜にしゃべりながら側を通っても何も目を引くようなものは無い。


【いつ、誰が、何に、どのように、なぜ】
 あの時に私が背の高い時計を自然に目にしていたとすれば、公園の敷地に入って行くよりだいぶ手前だったはずだ。そのまま歩いて数十秒ほど経ってから、その時に続けていた話を遮ってまで、過ぎた景色の一部分を時計か、鳩らしき彫像の影だかを意識して、大そうなことのように振り返り、戻って行った。何度思い返しても、本当はいつ何に気がついて、なぜどう意識したのか、自覚できない点の絡まりがある。

 「ちょっと待って、あれ、こんなところに時計とかあったっけ・・・?」

 とにかくそれまでの話を完全に中止して、美術鑑賞の足取りで、暗がりの中、時計や鐘やその周りの数羽の鳩の羽ばたきぶりを眺めに、二人わざわざ時計のふもとまで戻って行ってそれらを見上げ、見上げたものの、案の定、それ以上の感慨も別になく、ふぅーん、と金属の足元に目線を下げた。

 たぶん二人とも、同じところに目が行った。
 同じ短い時間だけ、状況を把握するまで黙って見つめた。


【闇の輪郭】
 しっとりとした夜の草花が小さく黒く塗りつぶされているところ。一瞬、周囲の弱い光を集めてツヤを放った小さい黒山が輪郭を持って、闇との境目を作った。

 あ!仔猫!

 私たちの声に起きて顔をあげたふるむは、愛想良くミャーと言って、クローバーのベッドからすぐにするっと地面に降り、私たちについて来た。けれど、さすがにそのまま連れ去る判断力も勇気も非情さも無く、名残を惜しみつつゆっくりゆっくり離れていくと、自立したハチワレ仔猫は、またあっさりクローバーのベッドに軽々とジャンプして戻って行った。

 まぁ、いったんうちに戻った私たちは、先住猫のおらく姐さんに「ねぇ、おらくはさぁ、白と黒って、好き?」などとご意向を伺ってみたりしながら(笑)もう居ても立っても居られず、実はその夜のうちにバスケットを抱えて公園に戻り、めでたく、なのか、ふるむにとっては敢えなくというのか、とにかくふるむはうちの長男となったのだった。満月の夜、フルムーンにやってきたから、ふるむ。


【闇と影の輪郭】
 その背中は丸く大きくなって、そしてやっぱり、この部屋の中で毎晩闇に溶けている。
 眠れなくなってしまった十三夜の真夜中過ぎの風呂上がり、椅子の上で闇に溶けかけていたふるむは、気が付くと影だけ残して椅子から降りていた。実に見事な猫型の影だった。椅子の背には脱いだ服などを適当に掛けていたのだが、なんであの服とあの角度で、あんな形の影になるのやら。

 あれはふるむが時間軸から外れたところに出かけている間に置いて行くクローンだったのかもしれない。ふだん私が寝てしまっている間に薄暗い部屋の中で繰り返されているふるむのオフタイムを、私が偶然、垣間見ることができたに過ぎない。ごく自然にそう感じられた時空だった。

 猫が気配を消すと、ほんとうにどこにいるのかわからなくなる。暗闇の何かをじっと見つめていることは、猫界としては当たり前の行為だ。体がそこにあってもなくても、いつもどこに行っているのか。きっといくつかの時空を自由に行き来しつつ、どこまで行って、どこから戻ってきてくれているのか。ね、ふるむ。


影だけ置いてゆく。


本体は、椅子の下でオフタイム。

おかえり、本体。


= デッサン =

猫が
こちらに左半身を向けて腰をおろしている
何を見つめているのか知らないが
頑なに、静けさを変えない
死ねば何も残さぬ このものたちは
言葉を発せず雄弁に
今を今として呼吸している

遠く、工事の音が響く
朽ちることなき四角いビルが
未来に向けて伸びているのだ

額から、ぴくりと動いた両つの耳の間を抜けて
曲線はうなじのくぼみへ
肩のうすべったい山から
今度は大きく
一筆書きで尻尾まで
受け入れ、予測し、波打つ
そのように生きる輪郭を
幾度も 幾度も 私はなぞる
掌から 指もそろえて
まるで無数の線を重ねて やっと
あるべき線をさがしあてる
下手なデッサンのような言い訳だ

こうでもしないと
いつかお前がいなくなったあと
確かにここにあった輪郭の証が立たないのだ

不意に
その完璧な線を惜し気もなく崩して歩きだす
人には見えない明確な任務を見出だし
その遂行のための使命感に駆られて

尻尾がたどる軌跡
透明が漂う空間
読みかけのページに目を戻し
コーヒーを2口ほど 口にした頃

責務を終えて、ゆったりと
人の世界に戻った毛皮は
私の左から膝の上に流れ込む
そのまま反時計回りの渦となりながら沈澱し
頭に尻尾で閉じられた◯となって
まるで始めからずっとこのようであったかのように
もう、ここにある
寝息をもらしている
数千年をも 今にして
ここにある

ずっと、ここに、あったのだろう

ビルはまだ伸び続けている
私は左手で
デッサンを重ねる

2015.8.16 さち・ド・サンファル!


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