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1.自己紹介

この投稿は私達がYou Tubeチャンネル👉セーリング風神を立ち上げるまでの旅の記録である。

皆さん初めまして

セーリング風神の YUKIEです(^ ^)

キャプテンのフランス人フェフェと日本人の貧乏カップルの私達は、ヨットで生活しながら色んな国や島を旅しています⛵

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2017年夏、フランスはカンヌから出発⛵️
メノルカ島→マヨルカ島→イビサ島→スペイン本島→ジブラルタル海峡を渡り→モロッコ→カナリア諸島→大西洋横断25日→バルバドス到着⛵️

今はカリブ海の小アンティル諸島と言われる島々を移動しながら生活中⛵

出逢い

それは今から10年前、日本でフェフェと出逢った私。その頃はただの呑み友だった私達でした。が、毎回行き付けのバーで会うと冗談で「YUKIEちゃん、今度デートしよ❤」みたいな事を言ってくるフェフェに私は「そうだね!今度ね!バイバイ👋」とおキマリの配い方で「外人(海外の方)は軽い!」という、どこか失礼な決め付けがあったので「軽く流す」的な事をしていた日々…

それから2年後、ひょんな事から「デートする」話が「掛け」のような「ゲーム」のような事になり、本当に「デート」するハメ?になった(笑)

未知の世界

結果「デート」は…滅茶苦茶楽しかった。

それまでただの呑み友だったから、余計にお互いに突っ込んだ話はした事もなく、いつも馬鹿な話ばかりして、ケラケラ笑ってた位。

それに「外人さん」て、どこか軽いノリの人が多いという私の勝手なイメージもあって、「真剣交際」まで行った事はこれまでに無かった。

というのも、私は日本語以外に話せない。英語も「何?」って感じだったから、日本語がある程度出来る外人さんでないと、私のような場合はその先へと発展するのは当たり前だが難しい…。(只今、挫折を何度も繰り返しながら勉強中デス)

因みに、お付き合いする人は「絶対に外人じゃないと無理」というタイプでも無く、言葉が話せないのだから、そんな発展もないけれど、大事にしてるのは何処の国の人でも人種でもやっぱり人間「中身でしょ!」と思っている。

けれど、私のようなタイプは「いくら海外や外人に憧れや興味」があっても、言葉が話せないのだから視野を広げて恋人探しも難しい…。

矛盾してしまうけど日本で「良い出逢いがない」と思ってる方は、海外で探すのも良いかも?!最初は言葉が話せなくても、人間必要に迫られると否が応でも動くから、何とかなってしまう。と今は思っている。

話を「デート」の日に戻すと、フェフェという1人の人間がこれまでに経験して来た内容をザックリではあったものの、それを聞いた私は何度も

「マジか?!」

とビックリした。あまりの世界観の違いに、文化の違いに、ライフスタイルの違いに。

何度も衝撃を受け、爆笑しながら、これまで私が知る「フェフェ」とのギャップに、今まで彼に対して、フランス人に対してあまり良い噂やイメージ等が持てなかった私の考えが

「何だこの人!滅茶苦茶面白い人じゃん」

と見方が変わった日でもある(笑)


人生が変わり始める時

それから私達が付き合うのに時間は「要らなかった」「掛からなかった」ではなく、「要らない」って…

自分の行動力にフェフェは最初のうち引いていたよね?(笑)

でもね、お互い訳有な関係。簡単に言えばダブル不倫よ。(世間体を気にすると決して良いとは言えない関係よね)

フェフェは絶賛元奥さんから「離婚したい」と言われ2人の子供を連れてフランスへ帰った元奥さん。

とは別居中だったし、私は私で2度目の結婚をしてから、まだ1年位だったから「家庭を壊したくはない」けれど「自分の気持ちに嘘付く事も出来ない」状況になってしまって、2年位悩んでたわよね。円形脱毛症にでもなるんじゃないか?!って思いながら(笑)

でも無理だった。

結果、自分の気持ちに嘘を付き続けるほど、私はタフではない。

事に気付くと、元々そこに「愛」なんて無かったから(酷い…が本当の気持ちである)2度目の結婚の際、元旦那さんから「結婚しよ」と言われ、「待たせてる」感があったのもあり、「こんな私でも貰ってくれるなら…」「恋愛と結婚は別だ!」的にその時は、ホトホト恋愛に疲れ切ってしまっていたのもあったし、その頃会社員をしていた私はストレスから来る病気になってしまったのもありで、精神的に衰弱していたの。

精神的に衰弱してる時の決断はろくな事がない

「目が曇ってる」状況って本当に怖いと思った。「恋は盲目」って言葉があるけれどこれも怖いのよ。

何不自由ない暮らしをさせて貰いながら、文句1つ言わない元旦那さんを傷付けたくはなかったけど、自分の気持ちを押し殺して生活も出来なかったから、「はて?何と言って切り出そう…」と次のステップへと移動した私。

かと言って「好きな人がいる」という事も、「もしも」を考えるとフェフェに迷惑が掛かるのを恐れた私は

「愛が無くなったから別れて欲しい」と切り出してみた。

「意味が解らない!もっとちゃんと説明して欲しい」と元旦那さん。

そりゃそうだよね、意味が解らないってなるよね…💦

でも、これ以上言葉が出なかった。

「ちゃんと答えてよ」と今まで見た事もない表情をしながら何度も言う元旦那さん

に「始めから愛は無かった」と、とどめを刺す。(あまりにも酷い言葉だと今でも思っている)

傷付けたくはなかったけれど、円満にお別れ出来るようにも持っていけない非力な自分に「酷い女だ!」とボロッ糞に思われた方が良い…と心の声がした

それから離婚するのに、あまり時間は掛からなかった。

むしろ、「早く離婚届出してよ」と催促される程だった。

その数カ月後、風の便りで「再婚したみたいだね」っと聞いてホッとした。

展開の早さにビックリはしたけど、「酷い女の事なんて忘れて次!」と行動出来た元旦那さんに心から祝福出来た。

それから6年後、フェフェもようやく日本人の元奥さんと離婚裁判を経てお互いにフリー同士になれた。

ライフスタイルのチェンジ

私は離婚する前に会社を辞め、暫くは専業主婦というのをしていたのだけど、離婚と共にフリーランスとして活動するようになる。主にブライダルや式典、イベント、写真や映像関係のヘアメイクをしながら全国各地を周っていた。

フリーランスになったお陰で、自分の休みを自分で調整出来るのはとても嬉しかった。それまでの私は、丸1日休めたら良い方で、2日続けて休めたら奇跡と思える生活だったのもあって、やっと心に少し「ゆとり」のような気持ちを感じられた。

夏になる度、フェフェが買ったばかりの中古船でヨット旅をするようになってから、少しずつ教えて貰いながら「ヨット」という移動型住居の魅力にハマっていく。

私は、これまで「ヨット」に携わった事はなかったし、ヨットについての知識はゼロなのもあり、全ての事が新鮮だった。

2016年、遠距離をしながらの生活に、「2人が離れている意味が解らない」とフェフェからのラブコール的な?オファーを貰い、正直、フリーとして仕事の幅を広げたい!と準備していた時だったのもあって、これもかなり悩んだわよ。

けど、ビジタービザを取得し1年間のフランス生活に踏み切る。

本格的にヨット生活者になる

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ヨット生活をしている人には、色んなパターンがある。

家があって、好きな時に船旅したり、家の生活をしている人。

家も車も売って、ヨットを購入して2、3年の旅をし、終わればまた家に住む人。

家は無く、ヨットが家のように生活しながら暮らしている人。(ヨット生活が長くなる程、家での生活は考えられない…という人は私達含め、数多くいる)


私達は最後のパターン。だから住所不定でもあるのよ。不思議な響き…住所不定(笑)

まさか、自分が住所不定者になるとは思っても見なかったけどね。

人生って、「正しい」とか「間違い」ってないように思うようになった。皆其々違うのだから、考え方も違って当たり前だと思えるようになった。

たった一度の人生を、どれだけ真剣に楽しめるか?

そう思えるようになった。

私達は6年の歳月を経て、大西洋を単独で横断する事に成功した。(単独は、ここでは1人って事じゃなく、私達1隻だけという事)

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その時のお話はこれから纏めようかな?と思う。私達のヨット生活は決して優雅でも豪華な暮らしでもありません。

多々、不便さを感じながら面倒くさい事も自分達で乗り越え、時々、海や自然の怖さを感じながら生活しています。

でも毎日、朝日や夕日を見れる事に。自然の素晴らしさに。人との触れ合いの中で助け合いながら生きてる実感を噛み締めながら、「私は私で良いんだ」と思えるこの生活に日々感謝の気持ちが生まれます。

「妥協」ってしない方が良い

「最高のパートナー」になるまでには越えなきゃ行けない壁が幾つもあるんだと思うの。私達もまだまだかもしれないけれど大分落ち着いたわ。(私がね)

沢山、人を傷付け傷付きながら悲しい思いも、辛い思いも色々体験して来れたお陰で、その体験や失敗が自分を強くする。

し、沢山の学びと気づきがあるから人は前に進めるし、乗り越える力を付ける。

そして成長する中で、やっと

命に輝きが出て来る

のかな?って思う。人生を真剣に思いっきり楽しみながら生きる事。忘れちゃ行けないわね!

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❤追伸❤

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