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寸前で中止になった幻のトルコ

小学校2年生か3年生だったころ、
父の海外赴任先がまさかのトルコに決定した。

母曰く、現地で通うことになる日本語学校の手配なんぞも始まった時、まさかの情勢悪化により全ては白紙に。

私のアラビアンバイリンガル計画は寸前で断ち消えたのであった。

水面下で準備されていたこともあり、幼い娘はリアルなアラビアンナイトを想像する事もなく、「戦争でトルコ行きはなくなった」と雑な報告を受け、「ふーん、そーなんだー」ぐらいで我が家のトルコ行きは未完で終わる。

しかし、高学年から中学生ともなると、英語の話せるバイリンガルたるものが世の中でやたらチヤホヤされる事を目の当たりにし、かつての「トルコ行き」を時折思い出すのだった。

今でも、中東、イスタンブール、エキゾチック、オリエンタル、エーゲ海、カッパドキア、などなど、
「トルコ」に関するワードを目にすると、自ずと「もし中止になっていなかったら今ごろ私は…」と違う展開が脳裏を過ぎることはあるが、大人になってトルコを訪れるわけでもなく、機会があれば一度ぐらい行ってみたいなぐらいのポジションに収まった。

私の中では「戦争で渡航が中止になった国」程度の付き合いで深掘りすることなく、親から具体的な話を聞く機会もなかった。

で、なぜか本日。

トルコの話が話題にあがり、妹経由で父から赴任先は「イスタンブール」ではなく、「イズミル(イズミール)」という都市だったことを初めて知らされた。
トルコ行きが中止になった理由が「戦争」というのはその通りで正解だった。

長州力顔負けのおまけも。

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ブルル(震)。

Wikipediaで当時のトルコを調べてみた。

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フライングで渡航していたら、一家は丸焼きになるところだった。中止にしてくれて良かったな。

当時のイズミルがどのような治安だったかまでは分からず仕舞いだが、とにかく田舎のファミリーがノコノコやってくる状況でなかったのは明白。

アラビアンバイリンガルは叶わずだったが、立ち消えたお陰で平穏な今があるようだ。

その後、何度か海外赴任の話は登場するが、母は一度たりとも同伴すること無く、全て単身赴任。結果わたしがバイリンガルに改造される事は無かった。


イズミルかあ。

素敵な都市のようだ。

丸焼きになる心配がないのであれば、ゆっくり訪れてみたい街だな。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。🇹🇷


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