心にピン留めしておきたいこと
もしも。人の心の内が視認できたとしたら、誤解から生まれるトラブルはなくなるかもしれない。しかしその代わりに、真実だけが見えてしまうことによるトラブルがそれまで以上に増大するに違いない。
"知っていればよかった"の代わりに"知らなきゃよかった"が世に充満するだなんて、ちょっと考えただけでも恐ろしすぎて震える。
知らぬが仏。である。
0か100か。白か黒か。みたいな話じゃないんだし、ゆらゆらしながら何となく双方のバランスが取れている状態がなんだかんだ一番平穏と言えるのかもしれない。世の中って上手くできてるな。心の中だけに留まらず、言葉、行動へも派生して、それらで色々な出来事が構築されていくわけだが…
世界中で次々と生まれていく色んな出来事を全て知ることなどできなくて、逆に全てを知らずにいることもできないのだ。
このあいだ、映画『怪物』を観た。
脚本は坂元裕二さん、監督は是枝裕和さん、音楽は坂本龍一さん。こんな、頭から爪の先まで全身ハイブランドのコーディネートみたいな作品がこれまでにあっただろうか。
そして、是枝裕和さんの「裕」と坂元裕二さんの「裕」が一緒で、坂元さんと坂本さんは「坂」が一緒。まるで三人が横一列で手を繋いでいるような名前の並びがなんかいいな。と観る前から思った。
描写や言葉はもう坂元さん節がバンバン効いていて、是枝さんはうわぁこうみせてくるのかぁと唸らせる撮り方をされていて、坂本さんが産んだ音楽は一音一音が沁みて。
カンヌで絶賛されたというのも納得。
この作品に触れて、私はこの記事の冒頭で記した"知っていること"と"知っていないこと"について色々考えた。
登場人物みんなの"知っていること"と"知っていないこと"が絡み合って、だんだん"こと"が大きくなってく。
誰が悪だとか誰が善だとかそういう善悪の問題ではなく、このような事態が起こる可能性があるというのが問題というか、その問題を解決することが永遠に消えない課題なのだろうと思った。
その永遠に消えない課題を、自分なりに意識して生きていこう。と、映画を観て決意した。
いろんな"こと"が溢れる世界で、
文字や言葉、表情や行動、そういったものは何かを知るきっかけになる。
その何かは、真実とは限らない。
噂とか嘘とかそういうちょっと厄介なものがあるおかげで、真実だけを知って生きていくことは極めて難しい。いや、多分無理。
ちなみにいま「ちょっと厄介なものがあるおかげで」と記したが、この言葉には"噂や嘘に救われることもある"という意味を込めたつもり。
誰かの誕生日は誰かの命日で
誰かが勝った試合は誰かが負けた試合で
誰かが笑ってる時は誰かが泣いてる時で
いまこの瞬間を切り取っても、様々な瞬間が存在しているのだ。
そんな瞬間が繋がれて時間が流れていけば、もっと様々な時間が生まれ…そうやってどんどん増え続けていく。いまも、増え続けている。
「絶対は絶対にない」という織田信長の名言があるらしいが、「この世で起こった全てを知ることは絶対にできない」と、掛布彩衣がここで新たな名言を残しておこう。
ではあの永遠に消えない課題を意識するというのはどういうことか、というと…
それは
無理矢理いろんなことを知ろうとする必要はないとしても、自分の知らないストーリーの存在を意識して、時には想像したりして、常時頭の中にきちんとスペースをつくっておくこと。
おそらくこれが、世に言う「思いやり」とか「優しさ」に繋がるのだろう。
いつでも意識できるように、
心にピン留めしておきたい。
「怪物だーれだ」
と、犯人探しのような言葉にもとれるキャッチコピーが印象的な映画『怪物』。
観終わってみると、とてもあたたかな余韻に包まれて清々しささえ感じた。
余談だが
これはポップコーンを食べながら観るような映画じゃない!(個人的見解)と思っていながら、映画館ではポップコーンを食べたい派の私はどうしてもポップコーンが食べたくて…本編が始まるまでに完食した。本編を観る前にポップコーンを完食するのはこれが最初で最後になるかもしれない。(こんなふうに一文に一回ペースでポップコーンという言葉を使うのは多分これが最初で最後)
そんなプチエピソードも含めて、私にとって特別な映画鑑賞となった。
❤︎最後まで読んでくださりありがとうございます!
カンヌ国際映画祭での脚本賞受賞をお祝いするとともに、坂本龍一さんのご冥福をお祈りいたします。
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