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これって社会の役に立つの?

最近、これを言われる割合が高くてその度に
「そもそもお前は社会の役に立てるような人間なのか?あぁ?💢」と言いそうな口を堪えている伊勢です。


これって社会の役に立つの?

副教科先生あるあるだと思うんですが、
「音楽なんて、将来なんの役にたつの?」
と生徒に言われる率が高いです。

じゃあ一生カラオケに行くなよ💢

っていうと「ごめん」ってよく言われます(笑)
生徒は「この勉強ってなんの意味があるの?」「将来役に立たなくない?」って言葉をよく発するんですよ。

私はよく自分自身が公務員試験を受けた時に後悔した話をします。

私は地方公務員試験を受けたときに、「あの勉強もっとしとけばよかった!常勤講師をしながら勉強するのは本当に毎日が地獄だった」と後悔したんですよね。その話をすると子供たちは「え」という表情をよくします。
子供たちは頭の中で、「本当はしないといけない」ということをよく理解しているけど、外的なストレスが多すぎて逃げたいだけなんですよね。

ゲームがしたい、勉強したくない、友達と遊びたい。
一生働きたくない。楽したい。

そもそも日本の教育が、色々詰め込みすぎなのと、押さえつけすぎなんですよね。
そもそも1日6限もある必要があるのか。(大体5・6限の授業は寝られるから私もイラつく)

先生によって教え方のスタイルが違う

高等学校になってくるとより顕著に出てくるのですが、
「一方的に喋り続ける先生」

「生徒自身が主体になる授業づくりをされている先生」
の2パターンに分かれているなと思います。
私は高等学校勤務になって支援生の入り込みもしているのですが、前者の先生の授業は私も一緒に寝そうになります(笑)
後者はもちろん資料作りや、指導案作りはかなり大変なのですがやはり生徒自身がイキイキしています。

講義をするときに工夫したい

よく、授業や講義、レッスンをさせていただく機会が多いので、他の先生の授業などを見れるのは非常に参考になります。
講義を組むときは、「アクティビティ」を意識、
レッスンを頭で構築するときは、「生徒さんに考えていただく時間」を設定、
授業では、「基本私は案内役(やるもやらないもあなた次第だよ)」
を意識しています。

部活動も生徒主体

吹奏楽部の主顧問をしていた時も基本的には「生徒主体」を意識していました。
昨年度の勤務校は55名いる大所帯で、今まで指導してくれる先生は誰もいませんでした。4月当初は通称「おしゃべり部」。部長と副部長がかなり落ち込んでいて「もうコンクールで金賞取りたいなんて、無理なのかな」と悲しそうな顔をしながら言っていたのを今でも覚えています。

私はその顔が忘れられず、悔しくて、その後の全体ミーティングで「私は部活動指導は基本嫌い。自分の時間も浪費される。だから、別にやってもやらなくてもいい。このまま「お喋り部」でも別にいい。でも私が指導するなら学校初の金賞を取ってみせる。どうしたい?」と言ったんですよね。(今思うとこんなこと言ったせいでコンクール前に適応障害が悪化した)

「私は金賞なんか取らなくてもいい!」「オーディションなんかしたくない!」という生徒も出てきました。

では、その55人をどうやって振り向かせたかというと。
(保護者からよくノークレームでしたねと別の先生に言われますが、間違いない)

私の指導スタイルは基本的には私の意見は述べません。生徒の引き出しを引き出してあげられるような声かけを意識していました。
吹奏楽は女の子が多い部活だったので衝突もかなり多かったです。
私は、生徒同士では出来ない愚痴の聞き役に徹していました。
指導もきちんと「こうすることで、こう改善されるから、この練習をしたいんだけど、どう思う?」という理論的なところまでしっかり説明していました。
そして急に走り込みや筋トレをし出した吹奏楽部に、他の先生たちも応援してくれるように!いい相乗効果が生まれて生徒たちもどんどんやる気を出してました。
筋トレも走り込みも、「やりなさい!」ではなく、「必要ならすれば?」と言っただけです😁

いやぁこういう話するとまた、部活指導を…(したいようなしたくないような)
今ならもうちょっと言葉選びをして上手に指導できると思います💦

もっとワクワクするような授業づくりを

最近私は「ワクワクするような授業」を作れているのかな。と思うと微妙です。
もっと色々授業も引き出しを作りたいなぁと考えています。勉強します。

本日もお読みいただきありがとうございました♪









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