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詩『天狼~ハティ』

作:悠冴紀

ユグドラシルの根に湧くミーミルの泉に
ゆらりと蒼白い月明かりが浮かぶ

君は私の月だった
君の言葉と視線は
私を映し出す水鏡

誰もに見放され厭われていた私とは違い
君は輝かしい前途を期待された才ある者

何故こんな私が残り
君のような人が去らねばならなかったのか……

かつて私は
君を目指して走っていた
君の背中だけを一心に見つめ
君の賞賛を何よりもの励みとし
いつまでも追いかけていたかった

私が君を
喰い尽くしたのだろうか……

君が月なら
私は天狼

神々が殺し合った森を眼下に
天狼は太陽と月を喰らい
この世の終わりをもたらすという


君は天上に浮かぶ蒼白い月
仄冷たい明かりを夜のしじまに漂わせ
凛として水面を照らしていた

君のようになりたくて
君から何かを吸収したくて
私はずっと 君を追いかけていた

だが私は天狼
生まれながらの闇の捕食者

君を慕い 近づきすぎて
ついには君を呑み込んでしまった

漆黒の夜が空を支配し
世界が最後の光を失った
君の輝きに酔った私が
獣の自覚をなくしたせいだ

私は天狼
月を崇拝するあまり
月を喰らって独りになった

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※2013年7月(36歳当時)の作品。

この作品は、私の人生に最も大きな影響を与えた人物である幼馴染の親友Sと、過去の私との間柄を、北欧神話になぞらえて描写した一作です。

冒頭にある「ユグドラシル」というのは、北欧神話において3本の根を持つ世界樹のことで、各々の根本には泉が湧いているとされている。そのうちの一つミーミルの泉は、最高神オーディンの相談役だった賢者の神、巨人のミーミルが守る知恵の泉であり、その水を飲めば霊感を得て非常に高い知恵や知識が身につくと言われていました。3つの泉の中でも、私があえてこの泉を選んだのは、親友Sがミーミルのように非常に高い知性の持ち主であり、私に多くのことを諭してくれた良き相談役だったからです。

本作のタイトルにあるハティというのは、同じ北欧神話に登場してくる天狼の名前です。太陽を追いかけるスコルという天狼に対し、ハティは絶えず月を追っていて、神々が激戦の果てに滅びていく世界の終焉ラグナロクの際、ついには月に追いつき、月蝕をもたらすのだという。同時にスコルも太陽に追いついて呑み込んでしまうため、日蝕や月蝕が不吉で禍々しい事柄と見なされていた古の時代には、天狼は災害の元凶として畏れられていました。

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ちなみに、本作では、月を通して親友Sの魅力的な側面、他の大勢とは一線を画す品格や教養の高さ、沈着冷静で凛とした側面を表現していますが、同親友には一方で、臆病なほどに慎重で自分の殻から外に出ていけないネガティブな一面(←果てには長~い引きこもり状態に💧)や、妥協なき完璧主義ゆえに薄情なほど許容力に欠ける一面など、他にも様々な側面がありました。私との関係も実に複雑で紆余曲折あり、とても一つの作品にはまとめきれないため、私の手元には、一見別人の話のように見えて実は同じ一人の親友とのことを書いた作品、というのが山ほどあります。今後少しずつ投稿していきますので、気長にお付き合いください (-人-;)

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今となっては遠い記憶ですが、私たちが互いの存在を認知するようになったのは、小学校半ば頃のこと。つまりまだほんの子供だったわけですが、後に私の大親友となるSは、とてもそんな年頃の子供とは思えないほど、知的で礼儀正しく落ち着き払っていて、成績優秀な上に書道の達人。絵を描かせれば、正確無比な写生で必ず入賞するといった具合で、創造力を要する事柄や運動能力を要する事柄を除く殆どすべての面で、並外れた才能を発揮していました。

対する私はというと、過去を知る人のいない今でこそ、「いかにも周りから認められ、守られながら成長してきたお育ちの良い優等生肌だったに違いない」という都合のいい誤解(笑)をされがちですが、実際には、血生臭いDV家庭で、生き汚くサバイブする精神力だけを身に付けてきたような元危険人物 σ(^▽^;) で、中学生時代の前半ぐらいまでは、私の姿を見るなり周りが皆逃げていくほどでした💧 詳しくは書きませんが、家柄自体も地元では恐れられるような存在だったので、周囲の親たちが口々に、「あの家の子とは絶対に関わりあってはダメ!」と、子供たちを私から遠ざけようとしていました。

その後色々あって、かつては手の届かない憧れの存在だった親友Sと、不思議と縁があって交流を持つようになっていた私は、それまでの自分がつくづく恥ずかしく思え、切実に変わりたいと望むようになりました。「この人に恥じない自分になりたい」 その意識のおかげで、私はようやく自我に目覚め、生存本能だけで生き抜こうとする荒ぶる獣から、人間へと生まれ変わることができたのです。まず自分自身のことを、不都合な側面まで含めて客観視できるようになり、色々克服して短期間で成績や態度もガラッと変わり、私を見る周囲の目線も大いに変わりました。断っても断っても責任ある立場を任されるようになったり、何故だか同級生の女の子からファンレターをもらったことも💧笑

思えば、あの頃(中学校半ば頃)からようやく、私の人生は動き出したのだと思います。ようやく本当の意味で生き始めたのだと。それまではずっと、生ける屍でした。

親友Sは更にその後、私を文学へと導いてくれました。本など自分の意思では一度も読んだためしのなかった私が、前々から好きで描いていた自作の漫画作品を見せてみたところ、文学通の彼女は、イラストの良し悪し以上に、文学向きなストーリー性や人物造形、論の強さといった部分に着目し、どこをどう伸ばせばより深みのある作品づくりができるか、恐ろしく説得力のある的確な指摘で、指南してくれたのです。つまりこの親友Sが、私にとって人生で最初の最良の編集者であり、最大の愛読者だったのです。

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かつては声をかけるにも勇気が要るほど遠い存在に見えていた人物と、堂々と肩を並べて歩けるようになり、更には文学作品らしきものを書けるまでになったことで、何やらすっかり文明人・文化人の仲間入りを果たし、全くの別人に生まれ変わったような気になっていた私ですが、人間は所詮、自分自身以外の何者にも成り変わることはできない。根っこの部分では獣時代の激しさや危うさを内包したままで、ただ理性によってうまく抑える術を身につけただけだという実態を自覚したのは、過剰な安心から来る油断と思考停止によって、親友を失ったあとでした。

私の牙は鋭すぎて、最も大事なものまで引き裂いてしまった。友愛や信頼といったプラスの感情を動機にしてさえ、私というヤツは永遠の破壊者なのだと覚って以来、二度と誰も強くは求めまい、深入りすまいと心に誓ったものです。そこは今も変わりません。誰と共に暮らし、何年親交を持とうが、心の奥底では常に独りであること、距離を保つべきであること、その意識を決して忘れないよう、常に自分に言い聞かせて生きています。

(※ 私の詩作品に、自分個人の決意や覚悟を語るばかりで、一見独りよがりな印象のものが多く、逆に誰かを求めたり想いを寄せたりすることを讃美するような作品が極端に少ないのも、このあたりの意識がベースにあるから、と言えるでしょう。)

とは言え、親友Sとのことに関しては、今 冷静に振り返れば、問題は必ずしも私一人だけにあったのではなく、お互い様としか言いようのない流れで、なるべくして別離に至ったのですけどね。長年あまりにも相手を美化……いや神格化しすぎていたせいもあり、相手の問題点にまで気付く余裕を持てたのは、ドロドロのやり取りでSとの関係が終わってから、何年も経ったあとのこと。それまではひたすら、自分で自分に失望し、一時は正気をも失いかけ、自分を責めるだけで頭がいっぱいでした。

ちなみに、Sとの関係が破綻したのは、20代半ば頃のこと。この詩を書いたのはそれから10年以上も後のことですから、私にとって、Sとのことで受けたダメージがいかに大きく深刻で、いかに長い間引きずっていたか、制作時期だけを見てもお分かりいただけるかと思います (^_^;)

まあ、さすがに今はすっかり克服して、淡々と語れるようになりましたけどね(^_^;) そして、あれから何年も経った今でも文筆活動を続けていることから、Sとの出会いが私にとって、決して無駄なことではなかったのだということも、おわかりいただけるかと思います。

どんな無様な終わり方をしたとしても、また関係そのものが続かなかったとしても、出会いを後悔や悲嘆だけで垂れ流してしまうか、そこから何かを学んで明日へと繋げていくかは、最終的には自分次第。少なくとも私は、出会わなければ良かったとだけは、間違っても思えない。その後の道を切り開くのに重要なツールを与えてくれた親友Sに、今は心底感謝しています。

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注)この作品を一部でも引用・転載する場合は、「詩『天狼~ハティ』悠冴紀作より」と明記するか、リンクを貼るなどして、作者が私であることがわかるようにしてください。自分の作品であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たります。


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