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詩 『カナダの冬』 (二十代前半の作品)

作:悠冴紀


深まっていく大空に
カナダの様子を重ね見る

ナイアガラ・オン・ザ・レイクの
白い小さな教会
ボウ川の水面
牧草地を流れる風

一人旅に出かけたい

カナダの冬は どんなだろう

バンフの町に積もる雪
ロブソン通りに灯る明かり
コートの襟を立て 行き交う人々

親友たちと一緒に 眺めたい

暖かくなっていく地球上
底冷えの冬を忘れない国

凍りついても構わない
あそこでなら
眠りたい
あの国で

***********

※1999年(当時22歳)のときの作品。

年は明けたが春はまだ遠い……。というわけで、冬らしい季節感のある過去作品を引っ張り出してきました。二十代当時の青臭~い感性で、素直に綴った望郷の詩 ───。

といっても、日本生まれ日本育ちの私がカナダにいたのは、晩夏のほんの僅かな日々。冬のカナダには滞在した経験がありません。なので、この詩は、冬の日本にいながら、カナダの冬の様子を夢想して書いた作品なのです A^_^;) 向こうは地面が膨張して変形しがちな極寒の冬に備えて、住宅の基盤を半地下に設置しなくてはならないほどで、日本の冬とは比にならない寒さだと頭ではわかっているのですが、それでもその白銀の雪景色を一目見てみたいと思ってしまう銀世界好きの私……。

ところで、冬の様子は想像でも、作中に登場してくる「白い小さな教会」や「ボウ川」など、具体的に挙げている場所は、すべて私が実際に訪れた場所ばかりです。フランス語圏のカナダ東部へは行ったことがなく、英語圏の西部をざっくりと横断してきただけなんですが、今思い出しても、いかにも雪の似合いそうな絵になる街並みでしたね。特に田舎の一軒家は、一つ一つ小綺麗で可愛かった!

知人がいるわけでもないのに、何故だかふらっとカナダを訪れたこの当時の私はというと、狭~い島国気質で我慢ばかりが美徳とされ、個性の突出や主体性ある言動を、悪しきことのように責められ嫌われ叩かれまくる日本人社会で、さんざんな目にあって疲れきり、日常がドロドロしていたので、そんな日々からの逃避願望もあってか、あちらの広々とした開放的な街並みや大自然に、強く心引かれたものです。特に港町バンクーバーは居心地がよくて、「このままずっとここにいたい。もう二度と日本になんて戻らなくていい」と思ってしまったほど。かつて永住するつもりでいた馴染みの港町 神戸を、震災以降別物のようにしか思えなくなっていた当時の私の目には、神戸に代わる新たな心の里のように映ったのでしょうね。

結局、その後も怒濤のように色々あって、日本国内で逃亡者のように居場所を転々として暮らしてきた私は、流れ流れて今は大阪にいるんですけどね。幼少時にも、一家で軽トラックに乗って、ヤ◎ザが出入りする強欲な不動産王の本家から夜逃げした後、知人宅に子供だけ預けられて転々とたらい回しされたり、またいきなり他所の土地に引っ越したりで、思えば根っからの流浪の民でした (^_^;) いつからかすっかりそういうことに慣れて、むしろひとところに長く留まるのが苦手な根なし草と化していたのですが、タイミングの良さもあって旅先のカナダにだけは妙に執着し、珍しく郷愁のようなものを抱くようになった私……。最後に骨を埋めるのは、ここがいいな、なんて思ったものです。

もちろん、実際に住んでいる人たちからすれば、現実はそんないいことばかりじゃないぞ、知らぬがゆえの薄っぺらな憧れだ、とでも言いたくなるようなスカスカの夢物語かもしれませんけどね。

まあ、人間は人生に一つぐらいは夢を残したまま、知らぬがゆえに美化していられる部分があった方がいいだろう、とも思います。(夢や幻しか見ないような人間になり果てても、もちろんマズいですがね(^_^;))

たとえば、世には作家を夢見ている人というのが、驚くほど大勢います。(私は書きたいもの、閃くものがあったから書いてきただけで、作家という肩書きへの憧れは一度も抱いたためしがなく、むしろそのために単なる仕事になってしまったら嫌だなぁ、と長い間思っていました) でもそのあたりも、いざ現実になればなかなかの泥臭い裏事情が見えてきて、ゲンナリさせられることが多いものです。

出版社というのは所詮営利団体であって、本離れの進んだこの時代では、生き残りをかけてますます利益優先型の俗っぽいものになりがちだし、作家という立場は所詮、出版社という会社組織に属する正社員とは違い、後ろ楯なきフリーランス。領収書さえ集めておけば、後で取材費用や資料代や交通費を出してもらえる、なんていう良いご身分ではないし、一番お金のかかる宣伝広告の類いは真っ先に削られた上で、「今はSNSの時代だからご自分でも積極的に宣伝してくださいね~」と突き放される始末。

場合によっては(私自身ではなく知人の作家さんの体験ですが)、ノンフィクション作品なのに、事実と異なる内容をそれと知りつつ掲載させられた上で、「売れるが正義。事実や著者の意図よりも人々の見たいものを書いて見せるのが、お金をもらって仕事をするということ」と言い捨てられ、さも当たり前の常識として押し通されたりもします。これは遠回しに「『あなた』なんて要らないんですよ」と言われたに等しい。社会が、企業が欲するのは、我々の要求通りのものを作る道化であって、自由な自己表現の場などないと。私自身も、言葉は違えど同じようなことを散々言い捨てられてきた。でもこれは出版業界のみならず、一見夢のある(と思われがちな)殆どの業界に当てはまることだと思う。その上更に、生活もままならんほどの、割に合わない金銭事情。(つまり一方的な労働力の搾取) やってられませんわ💢

そんなわけで、純粋に文学性や独自性や真実の伝達などを追究するなら、むしろ職業作家にはならない方が良いのでは? と言わざるを得ないのが現実です。

ここだけの話ですが、私の目には時々、ボランティアで非営利に書籍文化を残す活動をしている人たちや図書館員などの方が、本当に楽しそうに本と暮らしているように見えることがある。世に出回る前の段階にある生まれたてほやほやの本に、最初に接して読むことができるという点にロマンを抱いて出版社に入社した人が、業界裏事情に絶望して「実はもう辞めようかと思っているんです」なんていう本音を、脱け殻のような虚ろな眼差しで語るのを漏れ聞いてしまったことすらある💧

…… これ以上は、ますます話が別のテーマにズレていくので、ここいらで詩作品の話題に戻りましょうか A^_^;)🙇

私の場合、元々かなりニヒリスティックな醒めた性格で、そう特別に都合のいいことばかり期待するタイプではないので、この詩作品『カナダの冬』に挙げたスポットにも、実際に住んでみたらガッカリするかもしれない、とまでは今でも決して思いません。その手の落胆や幻滅というのは、大抵、未知の部分に対する期待ばかり膨らませすぎた人に起こりがちなことだから (^_^;) ただ、今までのところ(移住を)実現していないからこそ、当時の憧れを含めた綺麗なままの記憶を残していられた、という意味では、貴重な一作だと思うのですよ。私のように性根のねじ曲がった人間には、めったにないことですからね(^_^;)

かつてこの目で、知りすぎない程度にさらっと見てきた現実の風景に、想像で補う真っ白な雪を降り散らした若き日の一作。そんな昔の思いをすっかり忘れ、憧れの抱き方すら忘れていた最近の私には、今こそまさに振り返るべきタイムカプセルのような作品です。

日本ではカナダの情報は全くといっていいほど届いてこないんですが、あっちの銀世界は、ホントに今頃どうなっているんでしょうね?

注)シェア・拡散は歓迎します。ただしこの作品を一部でも引用・転載する場合は、「詩『カナダの冬』悠冴紀作より」と明記するか、リンクを貼るなどして、作者が私であることがわかるようにしてください。自分の作品であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たります。

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📓 詩集A(十代の頃の旧い作品群)
📓 詩集B(二十代の頃の作品群)
📓 詩集C(三十代以降の最新の作品群)

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