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編集者は「上手な文章」を求めているのか

「文章を上手に書けるようになりたい」

そう思って、私のnoteを読んでくださっている方もいるかもしれません。

では、「上手な文章」とはいったいどういうものなのでしょうか?

「上手な文章」のイメージはありますか?

流れるように読むことができて、論理構成もバッチリで、人の心を動かす魅力にあふれた文章。

手を入れる箇所が見当たらないような一文字一文字にまで配慮が行き届いている文章。

そんなイメージでしょうか?

「上手な文章」より求められるもの

編集者の立場から言うと、ライター、ブックライター、文筆家など、「書く」をメインの仕事にしている方に文章をお願いする際は、いわゆる「上手な文章」が届くことを期待しています(あくまで期待)。

ただ、一般書籍をつくる場合、著者さんに非の打ちどころがない文章を求めているかというと、そうではありません。

なぜなら、いわゆる一般書籍はもともと「書く」プロではない人に依頼するものであり、その方の

・専門分野の知識や考え方
・仕事をする中で見出した法則やマインドの持ち方
・人生経験から獲得した知見

など、その方ならではの視点、思考を伝えるためのものだからです。

非の打ちどころがない、修正のしようがない、素晴らしい文章が届けばうれしいのはもちろんですが、それよりも優先しているのは、

「コアとなるメッセージ」が含まれているかどうか

です。

本に必要な「コアとなるメッセージ」とは?

「コアとなるメッセージ」とは、その方が本を通じて読者に伝えたい本質的なメッセージのこと。

人に気づきを促したり、心を動かしたり、行動を促進させたりするような力を持ったメッセージのことです。

渾身の一文、名言といったパンチラインのオンパレードというより、約10万字の文章の集合体としてコアメッセージがきちんと表現されていることが大事。

「てにをは」や語尾の調整、エピソードの取捨選択や時系列に沿った文章の入れ替え、無駄な言葉や重複した部分の削除など、「メッセージを伝わりやすくするための細かい調整」は編集者がサポートすることができます。

これらのスキルも、文章を完成させるためにはもちろん必要です。

ただ、編集者はコアとなるメッセージをつくることはできませんし、それにまつわる経験もしていないので、著者さんに代わって書くことはできません。

そこは著者さんの聖域です。編集者が立ち入ることはできません。

著者さんには「コアとなるメッセージ」「そのメッセージを持つに至った経験」の言語化が最優先で求められます。

そのぶん、「上手な文章」「読みやすくわかりやすい文章」「誤字脱字のない文章」を書いてもらうことは、そこまで優先度は高くありません(※私の個人的見解ではありますが)。


前回のnoteで、「本の基となるコンテンツは文章ではなく、音声や動画であってもいい」と書いたのは、読みやすい文章をつくる作業は、ライターや編集者でもある程度サポートできるからです。

実際、インタビュー取材を基にしてつくられた本もたくさんありますよね。

そのため、本を出したい方は「完璧な文章を書ける文章力」よりも、「コアとなるメッセージ」と「そのメッセージを持つに至った経験」を言語化する力を磨くほうがずっと大事です。

ちなみにここまでの話は、あくまで本の制作に編集者が関わることを前提としています。

編集者がいない状態でまとまった文章を発表する方は、客観的に自分の文章を見て、文章を細かく調整する力も必要になってきます。

では、「文章を細かく調整する力」を磨いていくにはどうしたらいいか。

それこそ言語化が難しい部分ですが、少しずつお伝えできるといなと思います。

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