なんとなく死にたい

幼少期に酷い環境で育ったとか
大きなトラブルに巻き込まれて心が再起不能になったとか
世の中に起こりうるたくさんの理不尽はよく耳にするが
私はそれに比べれば恵まれた環境の中育ってきた。

両親は同年代の親より高齢ではあったが、夫婦仲は子どもから見ても非常に良く
ごく一般的な核家族の一つだった。

なのに、なぜか私は中学生の時から
ずっと「早く死にたいな」というぼんやりとした願望を抱えていた。

ただ自殺を計るとか、自傷行為をするとか
そんな大それたことはしないし、あくまで思ってるだけで
実際行動に移したいということではなかった。

しかし、この考えを友人達にそれとなく打ち明けてみると
賛同してくれる人はほぼ皆無だった。
その暗い考えやめた方がいいと笑い飛ばされた。
せっかく産んで育ててくれた親に失礼だと叱られた。

段々この死にたいな感情を外に出すことはなくなった。

そして生きていたいと思えないということは
生きたいと思う努力が足りてないからだと思い
仕事も頑張ったし、恋人を作って幸せを感じたりしてみた。
自分なりに生きがいというものを探してみた。

しかし
仕事がうまくいってお祝いにお酒を飲んで気分が良くなった時でも
大好きな恋人に抱かれながら夜の雨音を聞いて幸せな気持ちになった時でも

あぁ、今死ねば最高なのにと思うだけだった。
このまま生きたいより、今終わってくれと思った。

つい最近、この漠然と死にたいという考え方に
希死念慮という名前があることを知った。
そして一定数同じ考えの人間がいることもわかった。
眼から鱗だった。

ずっとどこかでこの気持ちを責めていた。
幸せに育ててもらったのに、周りに私を支えてくれる人達もいるのに
死にたいと思ってしまうのは罪だと。

死にたいな願望は無視できるような感情でもないから
多分一生付きまとってくる。
でも、それが私を作る一部なんだと思うようにした。

もう、どうしたらこの感情が消えるのかと考えるのをやめた。
少し心が軽くなった気がする。
それに、自分が思う不安なものに名前がついていると、なんだか少し安心する。

できれば、肯定してほしいとまでは言わない。
でも否定しないで寄り添ってほしいなとは思う。

まだ、親や大切な人たちには伝えられないけど
自分なりに希死念慮と付き合って生きたいな。

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