期待しているものを見ている(意思決定と知覚)

状況に「反応する者」になるのではなく、自分の現実を「創造している者」なのだという自覚を徹底して持つと、逆転した思考が身についてくる。

現代社会で「通常」と見なされている考え方の順序、ものごとの因果関係は「逆」になっており、これを元に戻すことが必要なのだ。

正しい因果関係を理解できていなければ、「反応する者」であり続ける。
それは「自身の反映であることに気づかずに、鏡の中の世界に踊らされる」ということだ。

端的に言えば、すべての経験の「前に」あなたの決定があることに気づくということ。決定はあなたの内で、意識によって為されるということ。
これらのポイントが大切だが、あえてこう念押しするのは、私たちは自分の知覚を体の五官や脳によってもたらされるものと捉えがちだからだ。
そして、
自分の内側(意識や精神、心と呼ばれる領域)の経験と、外側(触ったり、見たりして確かめられる物理的経験)とは分かれており、区別があるはずだと思い込んでいる。

あなたの意識が明瞭になればなるほど、自覚度が高まれば高まるほど、それは幻想だとわかる。

すると、あなたは「世界観」を完全に取り換えなければならなくなる。
その世界観の下では、何が筋の通った思考なのかということも変わる。
人によってはこのシフトを、「不思議の国のアリス」の物語の世界に入ってしまったかのような戸惑いをもって眺めるかもしれない。

知覚と経験

人間の知覚は、自分の心の中にどんな「定規」や「鋳型」を採用しているかで変わる。好き・嫌い、快・不快、美醜のジャッジなどもそうだ。

それらは自然に起こる反応だと思っている人もいるかもしれないが、そうではない。まず、基準となる型を自分の中に持っていて、それに沿って物事をあなたが判定した「結果」、起こるのが反応なのだ。
だからもし、型自体が変化してしまったら、あなたの知覚も変わる。

……ここまでは、認識の変化、自分の心理的な変化が、ものごとの感じ方も変えるのだと特に抵抗なく受け入れられる人が多いだろう。
問題は、知覚と現実の関係だ。

あなたは、自己の外側には物理的な世界があると思っていて、あなたの内的動きに関係なく、客観的で固定された現実として存在すると信じているかもしれない。
だからこそ、私たちは何かを物理的に調べたり、計測したり、比較したりもできる……はずだ。

しかし、あなたの意識の「目覚めている部分」は、それが錯覚であることを知っている。

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