ある宇宙人の手記・open the 地球

地球に生きる人は誰もが皆、自分なりの意味において、孤立の感覚を持ったことがあるに違いない。
英語で言うところのエイリアネーション(alienation 疎外感と訳される)、自分が外の者である感じ。
ひとりひとりが分離し、決して共有しない別々の心を持つと信じられている「個人」の世界では、私たちは皆が「自分以外」の外界に対し、自分は「エイリアン(alien)」であると感じるのだ! 程度の差はあれ。そして、その感覚をごまかす能力の差はあれ。

けれども、これ以外の観点からも、私たち人間が地球にとって「外から来た者」だと覚えている人はどれだけいるんだろう。
魂の中で「地球の人間経験」の地層が内に積み重なって、人間としての感覚の占める度合いの方がだいぶ厚くなっている人なら、もうそんな風には感じないのだろうか。
あるいは前景・後景の位置関係の違いだろうか。自己の意識の中でどちらが前面に出ていて、どちらが背景になるかという――。

私はなかなかうまいこと地球人に化けてきたと思う。
特に上手ではなかったけど、壊滅的に下手でもなかった。
ギリギリ常識人の範疇である仮面をつけて、心でその枷を苦しくない程度にゆるめる必要はあっても、「この世界の中にいる限り、参加者でいる間は」自分は地球人であるということを忘れないように心してきた。

「違っていること」を苦しむことすら、エゴは楽しむ。すべての存在の同一性を見る代わりに、特別な者であろうとする材料として、エゴは何でも利用するだろうし、「自分と敵対する世界」などの数々の妄想の存在根拠になりそうなものには食いつく。
自らそんな風にエゴに餌をまくことはまっぴらだし、ばかばかしくもあると感じてきた。
つまり慎重に、真実を真実のままにしておいて、いかなる形であれ苦しみという幻想に自分の心が「乗っからなくなるまで」、内を鍛えるのが先だ。

慎重に、慎重に。
それを開くのは早すぎてもいけない、遅すぎてもいけない。

内と外は対応関係にあるから、私の内のそれが開いたときは、外に見る世界も準備ができたということ。
地球外の文明へ、地球の歴史上すでにあった交流とは異なるエネルギーで、新たに地球を開く用意ができたということ。

この記事は単体で読んでいただけますが、
「たったひとつの答え、エゴベースの世界をリアルにしない」
「新地球の産み出しと、エゴのキャンプファイヤー、地球に生きる目的」
など、近い日付の記事では関連性の強い話題を扱っています。
地球外存在に関しては、ブログ★うちゅうじんず・あい★というカテゴリーに記事を多数収録しています。たくさん記事があるので、絵も入っていてスターターにいいかな、と思う親しみやすそうな過去記事をピックアップすると、◆「異星人種との意識的な交流。初めてお会いする種も!?」あたりがおすすめです。
また、この記事は、次の◆「あなたを助ける霊的ヘルパーの気持ちになってみよう」の序章としてもお読みいただけます。

趣味のような意味合いでは自ら関心を持ったことがなくても、人生の流れとしては「スピリチュアル」とか「精神世界」と呼ばれる分野に足を踏み入れていた私は、その中でどんな風に地球外の情報が扱われているかを体験してきた。

その中で用いられている共通観念として、有名どころの地球外文明がある。特定のグループがある。チャネリングメッセージがある。人によっては自分の「出身星」を知りたがる。
そういったリアリティーは、私には全く別世界のものなどではないし、理解できないわけではないが、それらの世界観にフィルターがかかっているのも同時に感じ続けていた。
ときには地球世界での観念が、宇宙や異次元に舞台を移して投影されているだけだとわかることもあった。

地球外文明へ関心を持つ人たちが、この地球世界の「中」だけを唯一の現実と固く信じている人たちよりも話がしやすいかというと、これまでの経験ではそうでもなかったのだ。
案外、そのような専門知識も枠組みも持たない人との方が、うまが合ったりする。自分の大切なものが「歪められている」という心地悪さも感じないで済む。

それに、他の星から地球にやってきた「ワンダラー」「スターピープル」などの概念は、自分は完全にそうだと知っているものの、前述のようなエゴへの警戒から、認めるのはともかく自分のアイデンティティーなどにはしたくなかった。
そうした概念を知ったときには深い納得を覚えたし、他の該当する人たちのことを思えば、概念が伝達されること自体はうれしくもあったのだが、納得した後には「だから何?」と思ってしまうところもあったのだ。

私は幼少期から、いくつもの現実を同時に生きているかのように夢での活動が活発だった。生まれる「前に」だけでなく、この人生を地球人として生きながら、同時進行で、眠ると別次元での訓練や活動を継続しているのを自覚していた。

スピリチュアリティーに目覚める前には、そんな自分の要素をどう理解していいのかわからなかった。
自分の内にある膨大な情報量に戸惑い、まるで地球上の自分の日常生活とは関連性がないように見える鮮やかな現実、ともすればこの世界よりも現実感が上回る数々の体験をどう扱ってよいかわからず、「ファンタジー」としてそれらを活かすべく、芸術や創作の道に進むしかないと思っていた。

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