重いものから手放そう
「手放す」という言葉を使うとき、手放す前にはしっかり「つかんでいる」ことを示唆している。
そう、私たちは、自分で「これは重たいな」と言いながら、自らそれをしっかりとつかんでいるのだ。大事そうに。
ここで言う重いという表現は、他者にとっての重さではない。世の中の基準らしきものに重いと認定してもらう必要もない。ただあなたが、重さを感じている何かに適用してほしいのだ。
重いものこそ、手放そう。
なぜなら、あなたが「重い」と感じている時点で、それはあなたにぴったりではないと教えてくれているからだ。
あなたが一体になれる何かではなく、余計なもの、あなたには属さないものだからこそ、重さを感じるのだ。
重要なものは、重い?
いやいや、自分にとって重要だからこそ重く感じるんじゃない?
と考える人もいるだろう。
しかし、心をひとつにして取り組める物事は、どんなに大切なことでも重くない。むしろスイスイと進められる。あなたがそれ自体と一体となっているので、負荷の感覚がなくなるのだ。
「私が、これをしています」
「私が、行為しています」
という主体と客体に分離した立ち位置が消えると考えていい。
とてもこのことが信じられないという人でも、一考の余地があるだろう。
なぜなら、そうしたあり方を理解することで、あなたはぐんと楽になるかもしれないのだから。
重要なものこそ、気にならないほど軽い。
自分がそれと一体になっているから、意識して何かするという感覚が希薄になる。
そのときあなたは調和している。元来の状態にある。
要らないものを取り込み、自らの人生に採用していることで生じる重さ
コンピューターの中に、全く使わない多数のソフトが入っていたら、その分容量が圧迫されたり、動作が重くなったりする。
同様に、あなたが要らないものを自らに取り込み、人生に採用していると、その分あなたは重さを感じることになる。
たとえば、
「本当に自分の好きなことをしているのだけど……」
「どうしても、これは必要なことだと思うのだけど……」
重さを感じているという場合。
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