希望に偽装した苦しみをキープするか、そこから出るか【土台替えのポイント】

世界を見渡して、どのドラマもぜーんぶ同じだ……! と気づいたら、愕然とするよね。違った人の、違ったストーリー。あなたにとって好ましい話・好ましくない話、感動もの、同情したくなる話、そうなりたいと思えるような成功の話……異なる沢山の話であふれていると思っていたのに、それらが全部「同じ」だったとは。

しかしこれは大袈裟に言っているのではない。たとえ、というわけでもなく直接的な表現だ。あなたがいくらかでも幻想から覚めた視点で眺めれば、実際にそうだということに気づいてしまう。
そればかりか、その同じドラマの土台が人間のみならず他の生物にも適用されていることに気がつく。
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ただ、これは厭世的な意味で言っているのではない。そもそも、厭う対象となるような外の世界は無いのだから。
あなたは自分の好きになれない夢を見ている。その夢には束の間のよろこびも楽しさもありながら苦しく、その苦しさに対する根本的な出口は見つからない。
ただし、あなたは自分の意思で夢を見ている。このことを思い出せば、土台から違う夢を見ることもできるのだが……忘れてしまっているのだろうか、次々と「同じシリーズの夢」を見ている。

いや、本当はすべての者が百パーセント「忘れて」などいないのだ。忘れているのではなく、「恐れる」ようになってしまった。だから思い出すことを遠ざけている。自らの意思で。
観念によって「さかさま」になったものの見方、考え方からすれば「真実」こそが夢なのだ、幻想なのだ。
あなたは恐れから、本当はそれこそがあなたを苦しませているのに、「学習した安全」を選ばずにいられない。そうした世界観を一掃してしまう真実には一分の隙も与えず、真実を遠ざけておく――なぜ?
なぜって、怖いから。今では恐れの対象が「真実を思い出すこと」になっているから――。

真実を揶揄し、何度でも「現実世界の経験によって」あなたを失望させ、「これが現実、すなわち真実なんだよ」とささやき続けるあなたの中の声に騙されるな。
あなたが好んで騙されなければ、それは力を持たない。

言うまでもなく、恐れという土台をキープしたまま、あれが正しい、これが正しい、今度こそ真実だと「シナリオ替え」することを、あなたは自ら決意してやめなければならない。
なぜって? それらは単に、あなたが結局「恐れ」を守り続けていることにほかならないからだよ。

(自己認識・世界観の)土台替えしか、おすすめしない

ひとつひとつのケース、ひとりひとり異なるストーリーを取り上げる代わりに、私はこうして「土台替え」について様々な表現で書くことを好んでいる。あなたの見ている夢の土台を、真実に沿ったものに戻すという焦点だ。
私たちの個性も、各々の経験も、物理的なレベルでは多岐に渡るが、冒頭で書いた通り大局的に見ると同じだ。同じ種類の夢だ。
地球世界の今という経験において私がおすすめしたいことは、この記事では「土台替え」と呼んでいるのだが、これ以外にない。

私が力強くおすすめするまでもなく、同じところに目を向けざるをえない人は多々いるだろう。幻想の中にある数多の道を試し尽くしたら、少なくともあなたの人生の中で自己が擦り切れるほど、消耗するほど、「もういいや」と感じるほどにやってみたなら、どうもそれらは全部同じシリーズであると気づかずにいられないからだ。
同じ土台を採用したままその世界観の中で「好ましいシナリオ」「そのときは幸せになるであろうと感じられるシナリオ」を実現することは、あなたの望みではないと悟るのだ。それではない、と明確に。

別な言い方をすれば、飽きるまで、これじゃないなと自分で心から納得するまで、「この世が提示してくる何かを達成したい」「この世から何かを得たい!」という気持ちは残り、それらに魅力を感じて追い求めるであろうことは必至だ。

そちらではなく、「土台替え」したいと本心から思うようになったあなた、あなたがそう思うならばもちろんそうできる。
そのとき、真実に沿った土台を自身の現実にしていると揺らぎなく確信するまでは、意識的に貫いてほしい姿勢がいくつかある。

ひとつは、このnoteの他の多くの記事で取り上げて解説しているように、「自分(他者も)を体であると考えることをやめること」

これだけでも十分大きなことだが、これを継続していくともれなく導かれる次なるチャレンジがある。それは、

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