自然法則から出るという宿題と、最高の答え

この数年、特に去年(2021年)あたりにはもう強く感じていたにも関わらず、私がきっぱりと心を決めることができずにいたのが、「自然法則」から「出る(観念を解放する)」ということだ。
手もとの広辞苑で「法則」という言葉を調べると、こうある。
『1. 必ず守らなければならない規範。おきて。2. いつでも、またどこででも、一定の条件のもとに成立するところの普遍的・必然的関係。また、それを言い表したもの。(例「自然の法則」)』
自然の法則を「発見する」「学ぶ」ことなら私は過去に関心を持ち、そこに信頼も寄せてきたと言えるが、そこから「出る」というのはなかなか次元の異なる話だ。

つまり、地球世界において「これは紛れもなく自然の法則だ」とされている事柄があるとして、私が言う「そこから出る」ことは、「それは不変のものではない。変えられるのだ」という意識をもって完全に生きること。
これがどんなに大きなことか、実感できるかな?

体の仕組み、自然界の仕組み、地球の物理法則……それらは人間の常識や思いとは無縁に成立しており、確固たる拠り所であり、だからこそそれらを「発見して学び、活用する」のが人間である――と、こう考えることがいかに当たり前になっているかを認識できれば、その考えをひっくり返す「事の大きさ」にも気づくだろう。

このテーマは以前から言及していないわけではない。note上だとたとえば2020年8月◆「Lighter, lighter 地球の自然法則の超越」の記事でストレートに語っている。けれども同時に私は、「自然界を見て学ぶ」という前提のもとで外界を見て学ぶスタイルを打ち消す気持ちにまではなれず(★ネイチャーコミュニケーション(生き物たちとの交流)★と名付けたマガジンに自然界への興味や思いを綴った記事を色々収めている)、「自然から学ぶ」ということの重要性、意義深さを手放さずにいた。そのスタイルが好きでもあったから。

それでも、意識の明晰さを上げていけばいくほど、目を覚まして認識すればするほど、「自然って、無いなぁ」という理解を無視することができない。
私は自然という言葉に内心疑問を覚えるようになってから、長い。
自分が手放していない(妥協をゆるしている)ポイントはここだとわかっていて、矛盾と決意の曖昧さを残していることを十分に自覚していた。「自然」と呼ぶ分野だけを例外として除外し続けることはできないという認識も日々深まる一方だった。

そしてついにこれを手放す時は満ち、それは時というより自分の決意と納得の問題だったのだが、いつかそれをしなければならないという宿題を退けずにすっきりと受け容れた。

そう、あたかも「これが地球世界の『自然』ですよ」という風に見える形はあるのだが、それすらも意識が作っている。ある言い方をするならば「自分がそうと信じている通りの舞台装置」の一環であり、やはり他の物事同様に、意識によって変更可能なことに変わりはない。なぜなら、それはあなたの意識の中にあるのだから
変えられないものはこの世界には無い。自分の意識の反映を見ているという点において等しくそう言える。この意味で、外側の世界は「無い」のだ。

自分の心ある道を選択しても、錯覚が前提にあると……

さて、そうだからといって私は何もあなたにとってうまくいっている考え方や生活基盤を否定しようというわけではない(結果として否定したり無効にしたりしてしまう可能性はあるが……)。具体的な何かを指しているのではなく、すべては心のあり方、「内の状態」の話なのだ。

わかりやすくするためにこんな話をしよう。
ある人が「これぞ自然に調和した生き方だ」と思うライフスタイルやセオリーを採用したとする。それが他者に証明されるような、裏付けがとれるような何らかの「正解」となるかどうかよりも、その人がどんな心の状態にあるのかこそが意味を持つ。
同じように、「これこそが体を健康に保つのだ」と確信する生活習慣や治療を実行した人がいるとする。しかし、それも行為や形ではなくその人の内面で何が起きているかだけが違いを生む。

なぜ、そうなのか。なぜなら、効力は「内」にしかないからだ。
内とはあなたの意識のことだ。
(こうした説明をもっと詳しく学びたい人は、★霊的な目覚めと創造★マガジン内の記事をどうぞ。)

私たちが錯覚しがちなことのひとつに、「自分とは体である」という観念がある。
体をどうするか、どのように健康(あるいはあなたが思い描く良い状態)にしてそれを保つか、どう守るか……など、体を前提とした思いは活発に動き回る。
そのとき、同様に他者、あらゆる存在たちのことも「体(あるいは物質)」であると見ている。

この観念そのものの誤りのみならず、一緒に思い出してほしいことがある。
あなたのこうした錯覚をとくことは非常に大切で、そうしなければすべては堂々巡りか、逆効果にすらなるからだ。それは、

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