人間関係や場所の不思議【エネルギー的な観点】

「自分の現実は自分で創っている」にせよ、自分が認識できている自分というのはどうも範囲が狭いようだ……と感じるのは、自覚している表層の思いと裏腹に物事が進行するときだ。

たとえば、こんなシチュエーションを想像してもらいたい。
ある仕事をあなたとしてはもう辞めようと決意して、粛々とその準備をしていた。ところが、まさにそれを実行に移そうとしたその日、予想外の出来事が起きて辞める気持ちも失せ、ますますその仕事にのめりこんでいく……。
この例のようなことは人生にままあるが、私の経験では、同じようなことが人間関係や場所についても起こる。

自ら特定の対象に関わろうとしているケース、関わりたいという望みを持っている場合の話ではない。
むしろ、本人の実感ではただ離れようとしていたり、特別な思い入れがなかったりしても、同じある場所に度々の関わりができたり、特定の人との関係が維持されるケースがある。
(ただし、特定の対象への強い嫌悪や反発がある場合は「それへ執着している状態」なので、本人が離れようとしてもエネルギー的には「望んでそこにいたいのと同じ」と言ってよく、今回の話題に該当しない。)

これは何だろう。
様々な説明を、それこそ「縁」や「別の人生」なども引き合いに出して語る人もいそうだが、ここではそうした詳細に立ち入らず、「エネルギー」の話をしたい。

良い悪いは抜きにして、あるエネルギーがクリアーになると、言い換えると自分自身のエネルギーの質が変わると、自分の現実に起きてくる「繋がり」の模様が変わる、人生の地図が変わる。

一例を挙げると、私の実体験だが、以前は好きで住んでいた場所にまったく魅力を感じなくなり、やり切った感じを伴って引越すと、その場所との縁は終了する。自分の気持ちがそこへ何も残っておらず、足を運ぶ機会もまったくなくなるのだ。あたかも自分の人生からそのエリアが消えたかのようだ。もちろん記憶の片隅にはあるのだが。

逆に、自分では「もういい」と思っているのに関わりが続く場所や人とは、何らかのエネルギー的な共通点があり、そのことをヴァイブレーションや、とあるテーマの持つトーンと表現してもいいが、それを共有していると言える。
繰り返すが、これは自分の表層で実感している好き嫌いとあまり関係がない。

自覚のないままに取り組んでいるテーマ

また、こうも言える。
自分の人生に盛り込んでいるテーマの中で、自覚していないものがある。
もしくは、テーマは自覚しているが、そこに「どう役立つか」ということを自分の人生に起こる全部の事象に対してあなたが理解できているわけではない。

どちらかというと各々自分の人生のテーマというのはうっすら気づいているものなので(言語化できるかどうかは別だが)、後者であることが多いかもしれない。
そう、私たちは人生に起きてくる事象が何にServeしているか、どう役立っているのかを理解していないのだ。

本人としては思い入れのないある場所へ、度々足を運ぶことになる例で説明しよう。

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