眉を生来の状態に戻したい人へ・眉育てレポート【そのままを慈しむメリット】

★2023年1月7日追記★
記事の後半部に、その後の展開(眉全体が生来の状態に戻った様子と、総合して要した期間、感想などのレポート)加筆しました!
また、記事タイトルを一部変更しました。

正確にいつからとは記録してないのだが、私はそれまで長年「自分の中での最低限整えていた」眉毛をまったく天然の、元の状態に戻すことを実行し始めた。
元の状態に戻すためにお手入れをやめてから、現時点で「半年は経過してないけど3ヶ月以上は経ってる」ので、おそらく◇「ヘナ卒業【観念を無効にすると、変化は祝福】」(2022年8月16日の記事)の頃と眉毛を戻し始めた時期が大体一緒だったと思う。

きっかけは、あるとき鏡で自分の顔を見て、「あれっ、なんでこんな眉なんだろう」と違和感をおぼえた。
私の場合、眉毛が元々しっかり生えているタイプで、眉を整えているといっても生来の状態とものすごく違う形というわけではないのだが、少なくとも成人以降はずっと何かしらお手入れしてきているというのに「なんか違う」と、このときはっきりと思ったのだ。

「ヘナ卒業【観念を無効にすると、変化は祝福】」では、髪の話題で私は「現在のそのままの状態」にすることが今の自分にしっくりくると書いたのだが、眉毛も……というのは納得であると同時に、斬新でもあった。
というのも、私はメイクをしなくなって長いが、眉に関してはおそらく自分なりのこだわりが、自覚している以上に残っていて、だからこそ習慣化したお手入れを続けていたと思うからだ。

この種の話題は★そのまま生かすファッション部★というマガジンに収録中。
主に自分自身で継続した実体験をレポートするので、シリーズの更新にそこそこ時間がかかる場合があるけど、興味があったら追ってね!

私の、眉のお手入れの歴史

はじめに、それまで私は眉を「自分の中での最低限整えていた」と紹介したが、これがどういうことかを説明すると、そのときどきの私が定める理想のバランスを基準にして眉毛を切ったり、抜いたり、外出時には少しだけアイブロウパウダーを使用して明るい色味を加えたりしていたのである。
こうした眉のお手入れは、メイクをし始めた年頃に開始して以来、メイクをしなくなってからも継続していた。

眉のトーンを薄くしたかったわけ

なぜアイブロウパウダーかというと、私は眉毛がしっかりあるタイプなので眉毛を描く余地はないが、眉毛の濃さを調節したかった。
同じくしっかり眉の人にはきっとわかってもらえると思うが、多少切ったり抜いたりしたところで眉毛の密度そのものはほとんど調節できず、見た目のライトさを実現できなかったためだ(色の薄いふんわり眉、には決してできないという具合)。

今の流行を見ているとそんなことないようだが、かつては、髪の色が明るいならなるべく眉毛の色のトーンも合わせた方がいいという価値観があって、髪色は明るいのに眉が黒いままというのは「ダサい」と見る風潮もあった。
ある時期までけっこう髪色を色々に変えていた私は、その点でも、眉毛の色を黒々とさせずに薄めか明るめに変えたかったのである。

だから、眉毛を短く切ってパウダーで色を加えることで色を薄く見せるほか(眉の形を短くするのではない。毛の長さを短く切ることで、毛の重なりを減らして薄い眉に見せるのだ)、眉毛の長さはあえてそのままにした上で、市販の体毛用脱色剤を使って眉毛を脱色していたこともあった。

独自に実行していた眉毛脱色

眉毛の脱色は二十代の頃を最後にほとんどやめたように記憶しているけど、眉の色そのものを変えることができるので私にとっては好都合だった。
中には、「眉に色をつけたいなら、眉マスカラがあるじゃない?」と思う人がいるかもしれないが、それは眉の質によってはおすすめできないのだ。
まつ毛にマスカラを塗ったときの効果を思えばわかってもらえると思うが、マスカラによって眉毛の一本一本が太くなり、明るい色を選んでもかえって眉はベタッと濃い質感になってしまう。私の場合はそうだった。眉の毛の質が細かったり、眉毛が少なめだったりすれば活用できるのかもしれない。

とはいえ、市販の脱色剤を使うと、ほどよい色に微調整することは難しく、黒い色が脱色できるまで置けば金髪の眉になってしまうのだが、それでも私にとって「眉を軽く見せる効果」はてきめんだった。
そうしてから眉パウダーで明るい茶色を足すようにすれば、ほら、目指していた柔らかい色味の眉が実現! バイト先で「あれ、よく見ると眉毛が金髪!」と驚かれたこともあったが……。

なお、その脱色剤は顔に使用するものではないし、目の近くに塗布することで薬剤が目に入ったりしたら大変なので、決してまねはしないようにと注意書きを入れておく。
もちろん当時の私もそれを承知で細心の注意を払い、自己責任で行っていたものだ。

眉の印象と雰囲気

そうはいっても脱色はほどよいタイミングで定期的に行う必要があるので、結局いつのまにか先に述べた「短く切って、アイブロウパウダー」という方法に落ち着いた。
そして、髪の色を変えたりメイクをしたりしなくなった後の私は、眉も以前ほど軽いトーンにする必要を感じなかったが、それでもそのままにしておくことは望まず、いくらか眉は整えることで顔のバランスが良くなると感じていた。

だから、自分の作りたい眉の形のアウトラインから出ている毛は切るか抜くかしていたし、ほんの微量の違いで、眉毛というのは印象が変わるものだとつくづく実感していた。
(わずかにやりすぎてしまって、自分的には失敗……! なんてことも度々あったからだ。)

実際に眉は、顔の雰囲気を変えるのに効果的なパーツではあると思う。
そういう意味では、私がメイクをし始めた頃にはまったくそのままの天然眉だとどこか野暮ったいというか、きまらない感じがしたし、社会人になってからは眉を少しすっきりと、整えた形にすることで、大人っぽいクリアーな印象を好んで作っていたように思う。

そのようにメイクをしなくなってからも私の中で眉の重要性は引き継がれ、お手入れは続けて、それが日常になっていたのに。
ある日、例の違和感がやってきたのだ。
そしてここからは、「天然の眉に戻す道のり」が始まったのだった。

天然の眉に戻す道のり【その山場と、注意点】

ヘナをやめて白髪をそのまま伸ばすことよりも、眉を元に戻していくことの方が私にはやや冒険に感じられた。
というのも、私は自分の髪色に対しては元々色々な色を試していたくらいだから、単純に髪が「異なる色」になることに肯定的な興味があり、「白髪は染めた方がきれい」という観念に参加するのをやめてみれば、純粋な好奇心と楽しみ、自分個人への「色」の適合としてはわりと銀髪が似合いそう……などのワクワク感を伴って日々眺めることができたのだ。

ところが、眉は、もう少し個人的なこだわりがあった。
そのこだわりがいつからできたのか振り返ると、子どもの頃にもティーンの頃にも眉毛をほめられる機会があって、肯定的な観念を持つ背景こそあったとしても眉を「変えなければ」とは思っていなかったはずだ。

その習慣、否定を土台にしていませんか?

でも、成人に差しかかった頃から、その当時の憧れや自己否定や何やかやで自分なりの理想を描くようになり、はじめはもっとその理想に近づくために「眉の存在感を減らさねば」との意図でお手入れするのが主流になり、そのようにお手入れを始めてしまうと、今度は「そのままにしておくと毛流れや形が乱れる」という事態が発生して、そのために当たり前のようにお手入れをし続けなければならなくなっていた。

このサイクルは何かに似ている……そのままではだめ! みっともない! と否定が生まれて、いつのまにか、自分が楽しんでいなくても続けることになるサイクル。
あなたの生活の中でも、心当たりはないだろうか。

本人が好んで、遊びやファッションとして様々な変化をつけることはいいのだ。でも、それ以外の理由で、「そのまま」の状態では良くないなんてことがあるだろうか? 
薄い、濃い、長い、短い、様々な形……どんな眉でも、各々の元々の顔立ちに他にはない個性で調和している。
たとえば人種や顔立ちによっては眉毛がないように見える人もいるが、それはそれで魅力的だし、眉毛がとても太く濃い人もいるが、それも素敵だ。

こう思っているのに、眉のお手入れをやめて元の状態に戻すまでの過程で、私には「ためらいの気持ち」が生まれてくることが度々あった。

はじめの数週間は余裕なのだ。あ、なんかいいじゃん、このまま何もしなくても大丈夫だったんだ! くらいの感じで。

ところが、その後こそが、眉を自然に戻していく道の山場だ。
「本当にやるか? どうするか?」と問うてくる試練がある。なぜなら、

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