情報のかたまり同士としての私たち(個性や相性の話も)

意識の「中に」世界がある、私たちの経験があるという話をこれまでにしてきたが、この理解が定着すると「個人」や「個々の存在」についても新しい捉え方が自然と生まれてくる。

私がよく感じているのは、私たち「個々の者」に見える存在はそれぞれ、「情報のかたまり同士である」ということだ。
正確に言うと、「特定の情報へのアクセスの有無、参照の度合い、好みなどに異なる特徴を持つリンク集」同士という説明になるだろうか。
「リンク集」にたとえたのは、情報そのものはクラウドコンピューティングのような存在の仕方をしており、私たちの体なり霊体なりに属しているわけではないからだ。

デスクトップ上にアプリアイコンが置かれているように、たとえば「ここにタッチすればこれが起動する」というような体験の仕方・仕組みはある。
でも、デバイスの「中に」情報があるわけでなく、インターネットに接続が必要というシステムに似て、私たちが体を通した経験と思っているものも体そのものに属しているわけではない。

これは、テレビやラジオを通して番組を楽しむことはできるが、番組がテレビやラジオの中にあるわけではないのと同じだ。


個性や特徴も、情報

私たちそれぞれの個性や特徴について考えたとき、それを「特有の情報」と認識すると、個人をあらわす特有の情報を形成している記憶なり考えなりの細かいひとつひとつの元は、先に説明したようにクラウドとして「集合的に存在している」。
その集合的な情報の中から「何を選び、何を繰り返し再現し、自分に属する情報だと思っているか」によって、個性や個人の特徴が生まれる。

そうして「これが私だ」という情報のかたまりが表現されるのだ。
ここは大事なポイントだから、よく聞いて。

あなたがあなたであると思っている「この個人」の特徴は、情報の取捨選択や「どの情報を強化するか」「どんな情報をどれだけ取り込んで、自分と同一視するか」などに由来しているということだ。
ここで言う情報には、私たちが「観念」や「記憶」と呼ぶものも含んでいる。それらは皆ひとしく「情報」なのだ。

これが、あなたが「他と差別化して私だと思う私」という情報を形成する方法だ。そうでなければ、情報の海の中であなたは「どれが私」という区別を持たない。

私たちは「これが私」という情報の区分をまず定め、それを基点に他の情報と関わるという経験をする。
個人と個人の関わりや、相性という感覚もここに起因する。

情報のかたまり同士として見る人間関係や相性

人間同士のみならず、あらゆる存在同士の関係すべてに当てはめられる話ではあるのだが、個性の作り方を考えれば特に、人間同士の方が顕著だろうと感じるのがこの話。
私たちを情報のかたまり同士として理解すると、人間関係や相性という体験は、以下のように解説することができる。

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