少し先の未来を感じていること・遺言のような感覚の正体

表層ではそんなことゆめゆめ思っていなくても、少し先の未来に起こることを自分の感覚で正確にキャッチしてることってあるよね。
なんでかなぁ、最近こんなフィーリングを伴ってる! との自覚はあって、理由はわからないんだけど……というやつ。

私はよくそれを経験しがちなんだけど、最近の実例はこれ。
「遺言のような気持ちで【変容と時期】」
2023年5月はじめの記事だけど、まだ3ヶ月程度しか経ってないから、読んでくれた人は比較的記憶に新しい内容だと思う。

このとき感じていたことがおおむねそのまま今実現してしまっていて、私はこの記事の少し後の5月末に大きな切り替わりを体験し、以降はまったく別の現実を生きている。

大きな切り替わりといっても、当然そうだよな、と自分では思うような機の熟した出来事で、ついに最後のピースがはまったか、というくらいの納得の展開。

この個人的実感と、集合的・時代的にも進んでいることと両方をあわせて、
「新時代入ったよ(私見)と、note執筆や記事販売の今後」
という記事を7月18日に公開したし、後日、ライブ配信の中でも新時代が明けたことを語った。

note上では主に執筆についての今後を知らせたけど、この余波は私の執筆活動のみに反映されることではないんだよね。

確認期間も設けて全般的に観察し、ああ、だから「遺言」だったんだ、と今はわかった次第。
まあでも、繰り返しになるけど意外性はまったくなくて、現代風に言えば「フラグは立ってた」っていうのかな。


そうそう、2023年7月26日の記事、
「おもちゃ箱を引っかき回しているような&個人的に感じている時間の質的ループ[全文公開販売]」
の中でふれた、『2019年後半から2021年前半あたりに自分が取り組んでいたことを今、再現してクロージングしているんじゃないか?』という話も。

その当時は自分の力不足で完結できなかったことを、リプレイするように今やっていると気づいたことを綴ったんだけど、その「再現されている課題」のひとつが、すでに述べた「遺言の感覚」に関係してるのね。

「遺言のような気持ちで【変容と時期】」の中ではこう綴っていたように(以下、該当記事から引用)、

『……むしろ、今から二年前の2021年4月30日の記事
「植物と気が合う・地球人生リタイア疑惑」
と同類の感覚で、その内容はそれから数ヶ月後の2021年10月9日
「鏡のトリックからのリタイア、IndependentとWholeness」
に書いた通りの結論に導かれたのだが、その頃から持っている「終わり」の感覚そのものは今も変わらないということだ。』

つまり、2021年にはすでに自分の中でのある種の完結、確かな終わりを感じていつつ、その頃は「これから何をすればいいのか」がわからないぽかんとした感覚、空きを何で埋めればいいのか判明しない時期が続いて、結局、「旧世界の延長上にある活動」に戻ったという経緯があった。

その頃にはっきり抱いた「完了」や「終わり」の感覚と、今回迎えたものは同じなんだけど、明らかにまったく違う点があって、

ここから先は

781字

¥ 650

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?