地球型宇宙人、これからの食を語る

約2年前、普段の講座と違う趣向として「自分らしいライフスタイルお話し会」というのを開催したのだが、参加者の方々と様々な話題で盛り上がり、終了時刻に差しかかったところで「次また機会があれば、食についての話を取り上げてほしい」という声が上がっていた。

食生活や食べ物について、私は特定のルールや療法を説く気はないのだが、意外と、
何食べたらいいの?
どんな食生活がいいの?
と、悩んでいる人は多くいる。
個人セッションでもその声を聞いたことがあった。

それについて、以前からブログで私の経験や考えはときどき書いてきたし、このnoteでも◆「今年の春は花粉症にならなかった【健康と、体】」の記事をはじめ、体や生活についての理解を促す内容は入れてきた。けれども今回は、あえて具体的トピックとして「これからの食」を語ってみようと思う。
ただし、私個人の話として。人類全体がこうなる、みたいな話ではないよ。

不食への関心、has come

先月から、私と妹は少々奇妙なシンクロを起こしていた。
奇妙なと言っても、二人の間ではまぁそこまで突飛な感じはしないのだが、何に関するシンクロかというと、「不食」についてだ。

不食……食べずに生きること。
私はこれまでの自分の仕事の経験上、当然ながらその語も情報も知っていたが、個人的には、不食に興味を持っていなかった。

誰かが自然の流れで不食になることはあり得ると思っていたし、それは全然構わないのだが、不食を「高みに置く」ことや、「目指そうとする」ことへは異論を唱える気持ちだった。

ところで、妹は、私のこれまでの思想や活動を最も身近で体験している人間だが、特別「精神世界・スピリチュアル」系の情報へ関心を持っていたわけではない。
姉がこのようだから、ある程度その分野について(いや、相当マニアックにだろうか)カバーすることになってしまった。

これまでずっとオープンな姿勢で私の話を聞いてくれ、自ら関心が持てるところは学び、自分の人生にも活かしているという意味で、妹は独自の土壌を肥やしてきた。
そんな妹が「不食」については、私よりも先に興味を抱いたのだった。

今でもそのシーンを覚えてる。
妹が現在住んでいる町の本屋さんで、私は、自分のかつて勤めていた精神世界系出版社の本の実物を妹に示していた。これも、これも、これもそうだよ……と、各書籍を説明しながら、精神世界・スピリチュアルコーナーの前に立っていたのだ。

そうしてお互いに、そのコーナー内で(他社の本を含め)自分の気になる本を気ままに漁ったりし始めた頃、妹が「何これ!」と、興奮気味にある本を手に取った。
それは「不食」の人たちに関する本だった。

ああ、不食のことね、と私は答えて簡単に説明すると、妹は、
「食べないで生きるっていうこと!? そんなことできるの!? えっ、どういうこと?」
と取り乱しながら、本をパラパラとめくり始めた。

そのときから、妹の心には不食への興味が芽生えたのだ。
元々妹は、私よりもはるかに健康志向で、主食は寝かせた玄米、野菜や果物とお魚やその他たんぱく質などをバランスよくとる食生活が日常だった上、ときにはファスティング(断食)も実行したことがあるそうだ。

そんな妹の琴線にふれた不食!
そのとき以来、特に不食にフォーカスした話題が二人の間で出ていたわけではないのだが、私の方はそれから約2年後の最近、別ルートで不食に興味を向けるようになっていた。

地球人の食事から離脱しかけている予感

先に書いておく。
私は自給自足に近いライフスタイルの人や、自給自足までは至らなくとも、できる範囲で家庭菜園をしたり、自分で育てたり獲ったりした生物を食べている人たちを深く尊敬している。
あと、料理が好きな人たちのこともかな。
なんというか、血の通った「食」を実現することへの憧れがあるのだ。

憧れ……怪しい言葉だ。
つまり私は、憧れてしまうほど、それとかけ離れた人間なのだ。

というのも、食に関する自分の感覚がいつからかものすごく変化してしまって、元に戻らない。おそらく……本当は……私は、食べるという要素を完全に排除して生きるのが一番楽なのかもしれない、ということを認めたくないがうすうす感じている。(日常、普通に食べてるけどね。)

もう何年もその自覚はあったのだが、昨今の状況によってさらに認めることになってしまった。

というのも、今年に入ってから、ウィルス感染拡大防止のために外出を自粛したことで普段以上に外に出なくなった結果、外食の機会が減った。
月数回程度は人と会って外食する機会を設けていたのに、それが無くなったのだ。
すると、自然に過ごしているだけで、それまで「なんとか乗りこなせていた地球食」から自分が遠ざかってしまうことを感じた。
果たして先月、久々の外食をしたらかなりの負担を感じたのである。

家では家族が食べているもの、出来合いのものやジャンクフードも含めてごく一般的なものを食べていると思うのだが、それでも外食から独特の負担を感じてしまった。
なんだろう、たとえばメニューなどの兼ね合いで、通常の自分なら取り入れないものまでもが、どうしても「込みに」なってしまう感じ。
選択肢はあっても、限界があるなと思った。

人との会食は、コミュニケーションや気分転換の機会でもある。
ただ食べるという目的ではなく、その「場」に意味があるのだ。
その機会を維持するために私はこれまで「多少の無理、アジャスト」をしていたに違いない。
しばらくそれが無くなってみると、素の自分はかなり「外食先で提供される食事」を受け付けなくなってきていることが浮かび上がったのだった。

ただし、その感想は以前からあって、ブログで時折書いてもきたので、古くからの読者の方あるいは過去記事を読んだ方がいらっしゃったら、意外でも目新しくもないことだろう。

日常、自分の内に従って適当なものを食べて生きているが(自分に合わない一部食材を除く)、その実、食への情熱は枯死寸前だ。

個人的には、色々な背景が絡んでそうなっていると思い、やがて変わることもあるかもと静観していたのだが、どうやら戻らないどころか、もっと先へ突き進みそうな予感がする。
飲食関連のわずかな楽しみとして残っていた、気に入ったコーヒーをドリップして飲む行為もだんだんと色褪せつつある。自分の体質に合ったコーヒーしか飲まないので、生来のコーヒー好きの方ほどの探求心や情熱がないのだろう。

味覚は鋭いのだが、食への積極的興味が全滅に近いのではどうしようもない。
こういう私が現在思い描ける自分の食の未来は、SF小説か映画あたりに出てきそうな、以下のスタイルだ。
生きるための完全な栄養素が配合された粉末を、シェイカーで溶かして飲むこと。それが毎日のお食事☆

……これは今の私が、青汁的な、全て植物性の材料が色々ブレンドされているグリーンパウダーを好んで摂取しているのとそう変わらない(正直、それを飲むときに食事の中で一番よろこびがある。おいしいし)。
現時点で私は他の食物もとっているという点だけが、未来像と違う。

不食の実践者として有名な方の中には、ご自身で調合される青汁一杯で健康に生活している方もいる。
なんだか私もぐぐっと、そうしたライフスタイルに心を寄せるようになってきた。
今のまま進んでいけば私の未来は、「当機は不食方向に向かっております(アナウンス調で)」。劇的な理由でもない限り、行き先変更の要素がまるで見当たらない。

高尚な理想があるからというよりも、その方が自然で、負担がなさそうだという理由で不食に気持ちが向く私を阻止する要素は、ソーシャルな部分だ。
人間関係に影響が出るかもだし、人間の(メジャーな)集合意識との接点がますますなくなりそうという懸念から、なんとかそれを食い止めたかったのだが、もうそろそろサレンダーしてもいいかなと思う。

といって、自分の感覚ではあと3から5年くらいの間に、不食に至る可能性があるという程度だが。

それで、たとえば体を支障なく動かせるだけのグリーンパウダーを摂取している自分を思い描くと、それってもう、「気」でしょ? ほとんど気で生きるということでしょ、とも思う。
つまり、古の表現だと「霞を食って生きる仙人」のヴィジョンになるのだ。
(実は、この話題に関連する別の背景は、◆「全生物のコミュニケーションリンクへの感受性を取り戻す【テレパシー的存在として】」の記事内にある「テレパシーコミュニケーションとライフスタイルの関係」のセクションで読める。)

こうしたことを先月内面で煮詰めていっていた私は、だいぶ前に不食に関心を見せた妹のことを思い出し、最近急に個人的に不食に興味を持った旨、妹へメッセージで送ってみた。

すると、
「奇遇だね。私もこの数日、思うところあって断食を決行してたので、不食の情報を読み直してたんだ」
と、妹からの返事。
え? こんな内容で、ぴったり同じ時にシンクロする⁉ と、驚く。
妹にとって断食は、経験があるという程度で、定期的に行っている習慣ではない。

私たちは同時期に、おのおのの背景に沿って「不食」へ思いを馳せていたのだった。
今でもその話題は楽しく尾を引いており、時折新ネタを仕入れては盛り上がる。
二人とも通常の食事をしているし、積極的に不食になりたい気持ちはないのだが、何かしらそちらへ引っ張られる思いは否めないのだ。

チューンアップできるのは、自分の精神だけ

ここからは、冒頭に書いた質問、食について悩んでいる方への回答になる。

まず、私は、ひとつのセオリーやスタイルにこだわることをおすすめしない。あなたは変化する存在だからだ。
(★後日追記……この記事から約1年後の私の変化はこちら◇「牛の魅力にドキドキ☆」――ただし、これもまたやがて変化することだろう。)

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