必要だからではなくエンタメ【新しい認識が定着すると】

これを公開するのは2022年2月の初日だが、2022年が開けてから私の新しい認識の「定着」を基に記事を書いている。それによって生じたものの見方の違い、密度の違い、あり方の違いを今回は「必要だからではなくエンタメ」というテーマで言葉に表していく。
この「定着」には丸一年ほどかかったことをすでに前々回◆「興醒めゾーンを抜けたら、会得するもの」で述べた。

さらにその次の◆「自然法則から出るという宿題と、最高の答え」で記した内容は、本当にそれを受け入れるなら、生きることの根底を引っくり返す感覚を伴う衝撃となっておかしくないものだ。何よりうれしい、喜ばしい衝撃になることもまた間違いないのだが。

「私とは何か」の認識は、「世界とは何か」という認識に直結する。
これまで繰り返しそう伝え、表現し、あなたの「真のアイデンティティー」の話をしてきた。けれども、そうであっても、そんな活動を長年してきた私が今「定着した」状態を語るのは、単純に・揺らぎなく・ピシッと・実感レベルでそれを自己の現実として認めたとき、「That's it??」※という途方に暮れた感じ、ぽかんとしてしまう感を持て余し、「ここで生き続ける経験」へとフルに還元できなかったからなのだ。いわば、どう活かすかを理解するまで相応の時間がかかった。
この文脈での「That's it??」は「それだけ!?」というような意味だが、That's it には複数の意味があってどれも当時の気分を表していたので、2020年11月◆「創造のThat's It 感」という記事にしていた。ほかにも2020年秋以降そして2021年の記事では、ひとつの「完成」によって知った途方もなさを実感しつつ何とかその内容を言語化しているものが多い。★月別アーカイブ★からどうぞ。)

今や「自己とは何か」を取り違えて本気で迷えることの方が難しい。存在の基盤は変えようがないことを知っているからだ。
そして、前回◆「自然法則から出るという宿題と、最高の答え」で説明した通り、それ以外は変わり得るということも。
「個があり、肉体があり、それぞれ独立した物体があるように見える世界」において、このことが何を意味するかわかるだろうか。

新しい認識――あなたが得るであろう、いや「取り戻す」であろう観点からは、「必要」という幻想がはがれ落ちてしまうのだ。

必要だからではなくエンタメ

ここでentertainmentを意味する「エンタメ」という語を使うのはふさわしいかどうか、語の解釈によっては私が意図するのと違う意味を連想させるかもしれない。
何かを貶めるつもりでこの語を使うのではない。けれどもやはり言葉で表現するなら、この語が浮かぶのだ。以下の話をする際に。

私たちは様々な「必要」を学んできた。生きるため、生活するため、様々な必要があることは至極当然に思えた。実際、あなたが「この世界の中にいる個人」なのであれば、それらを無視するわけにいかない。

今、私は「必要」という幻想が消えていく話をするが、私が語りかけているのは「幻想の中で、分離した個人のままでありたいあなた」にではない。
ああそう、では私には関係ない……と思わないで。あなたが自分自身をどのように見なそうと、あなたは幻想の中に本当はいないのだから。

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