何ごともない起点にフォーカスを定める・究極の癒し

意識(この場合は自覚やAwarenessの意味)は同時に何ヶ所にも置くことができて、私たちは特に難しさを感じず、意識的にでなくそれをやっている。
たとえばあなたがゲームをしているとき、ゲームの中の世界に没頭しながら体をかいたり、途中トイレに立ったりすることができるとすると、ゲーム内の様子に気を配りつつ、ゲーム外の自己の状態も感じ取っているわけだ。

この世界を、自分の意識の作っているゲームもしくは映画の世界だと捉えると、先のたとえと同じことができる。
この現実を体験し、その様子に気づいていながら同時に、この世界の「外」にある自己――プレイヤーや鑑賞者、作り手と言える「私」としての意識を自覚的に保っていることができるのだ。

そうしたあり方は、捉え方によってはdual、同時に二つを見ている感じ、あるいはbilocation、同時に二ヶ所にいる感じと説明できるのだが、ゲームや映画が「それを楽しんでいるあなた」に対して相対的に架空、ヴァーチャルであるように、両者は同等の確かなリアリティーであるとは言えない。

この現実の「外」にあるあなた、数々の現実を自分の意識の反映として経験している「投射の源、創造者のあなた」こそが実体だということだ。

今回は、これをわかっているまま自覚的に意識を用いればどんなことができるか、特に、問題解決や癒しの観点からお話しする。

これはあなたの世界・あなたの意志がひとつになる

創造者である自己に目覚め、それ自身であるままで生きる際、そうした目覚めの「度合い」も進んでいくものなので、自覚が確立されればされるほど、自分自身の内の分裂はなくなっていく。
☆「目覚め」について説明した記事、私のブログより◆「目覚め(解除)の段階と、創造のスタートライン」

ちょっと想像してみよう。これまでゲームまたは映画の世界の「中」にいたと思っていた人間、自分はその世界に属する登場人物だと信じていた者が、自分はその中にいないこと、実はゲームで遊んでいる側や、作り手だったとのアイディアを受け入れ始める。
カラダやモノや形あるもの全部が、いわばプログラムの「作用」でそう体験できていて、この世界の「外」にある実体からすれば、この経験はすべてが「ヴァーチャル・リアリティ」なんだと理解する。

そうしたアイディアを受け入れ始めても、途中はうっすら「そういう可能性はあるのかな、本当にあるとしたらどうだろう?」と吟味や検討、自分自身へ問いかける期間があるだろう。
ここではまだ疑念が多くあり、「そんなわけないか」と引き返すことも可能だ。これまで親しんできた思考や、正しさという枠組みの中で、真実を否定することもできる段階だ。

ところが、もっと段階が進むと必ず引き返せない悟り、認識に直面する。
そうだと思ってたよ、知識としてはそうなんだろうと十分理解していたよ、でも……本当にそうだったんだ! と、一点の曇りもなく自身でわかるときが来る。
そうわかった段階以降は、「自分対自分」という、自己内で分裂した状態を作る「葛藤」の意味のなさが身にしみてわかるので、そこには手を出したくないなぁという気持ちに自らなるはずだ。
☆音声メッセージ◆「エゴが提示する偽りの自由、からの自由!(第三回・20210413のメッセージ)」で、このことに詳しく言及した。

先に伝えた「dual」や「bilocation」の視点で説明すれば、二ヶ所に置かれた視点の両方が統一され、同期していると説明していいほど「同じ」になっていく。
これが自己内の分裂がなくなるということだ。あなたの意志はひとつになるのだ。

この状態は、最小限の力で最大限の結果をもたらすあり方と言える。
葛藤しながら、自分が自分と「前に進む」「いや、後ろだ」「ここは右だ」「いや、左だ」と戦いながら、争いながら、どれだけ行きたいところへ行けるのかを考えてみるといい。
目的地に辿り着けたとしても、とても疲れるやり方だったなと思うに違いないし、この人生の中ではその調子では辿り着けないかもわからない。

さらに言えば、自分内の分裂、葛藤は「外に」反映されてあなた自身の経験する現実を創る。
これを自覚すると「この人が~」「あの人が~」「世界が~」という言い訳が自分に通用しなくなるのだ。

私の書くこうした記事でも便宜上、あたかもあなたと離れて存在する他者がいるかのような表現を使うことがあるけれど、実際にはそれはない。

どんなに様々な「姿」「外観」が見えようと、あなたの経験しているこれは、あなたの世界だ。

切れ目なく見る・すべてはあなたのエネルギー

うーん、様々な「存在」がいるというのに、どうしてこの現実はすべてが私自身の創造だと言えるの? ……と、そこのところがこんがらがってしまう人もいるかもしれない。

まず、あなたは形ではない。形を使って体験することをしている無形の存在だ。他の存在も同様だ。

形のないエッセンス(存在)にあなたという存在の意識エネルギーを当てると、あなたバージョンの「対象」が立ち上がる。個に見える姿を現す。
もちろん、あなた自身も同じく形のないエッセンスで、存在「Being」なのだ。

こうして、あなたは自分自身のエネルギーをはね返すようにして、いわゆる世界を、他者を、経験している。
この意味で、経験するすべてはあなた自身のエネルギーであり、それ以外のものを体験することはできない。

このことから、わかることは何だろうか?
現実創造において、以下のことを認識しているだろうか。

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