「忘年会スルーする・しないの奥にあるもの。あなたがあなたを生きるには」人と人との温もり、リバイバル

2021年も最後の月になったね。この時期だから、自分のnoteの過去記事の中からこちらをリバイバル。
「忘年会スルーする・しないの奥にあるもの。あなたがあなたを生きるには」(2019年12月に公開した記事)

「忘年会スルー」なんていう語が世間でよく取り上げられていたその頃は、まさか翌年「忘年会を開催すること自体が難しくなる」だなんて、予想していなかったと思わない?
感染症拡大防止ということで人々が直に接触する機会をぐんと減らした期間を経過した今となっては、それ以前にあった様々な催し、時にはあなたが必ずしも歓迎していなかったかもしれない行事をも、改めて別な感慨をもって振り返る……ということもあるのではないかしら。

リンク先の記事を読んでもらえばわかるけど、私は、個人の望みやひとりひとりのスタンスを尊重する。それは必要なことだと思う。
ただ、近年ときどき私が感じるのは、名目上「個人の権利」に配慮しているのかもしれないけど、弱者の立場や傷つく人の気持ちを考慮するという形をとった結果として、人と人との間にまさに「ヤマアラシのジレンマ」を体現するような過剰なルールや距離が作られていっていないか? ということ。

〇〇ハラスメントという言葉のヴァリエーションがどんどん増えていくのもそうだけど、あなたがもし、外の対応、外側のルールに解決策を求め続けたらどうなると思う? 
「私」に力点を置けるようになるまでは、世界のすべてがあなたにとって、「ハラスメント」になりえるんだよ。
いや、冗談抜きで。

たとえば、あなたがモノにぶつかって「いてっ!」となったとするよね?
そのときぶつかったのも自分なら、痛みを感じているのも自分なのだとしても、こう思うことが可能なんだ。
「痛いなー、なんで地球では物質がこんなに固いんだよ! ありえない!」とね。あたかも地球という環境に「悪意」が宿っているかのように反応できる(笑 地球舞台以外にも多次元的な世界の感触を覚えている皆さん、実際そう思ったことはございませんか……?)

まぁまぁ、これは極端な例だけども、「私」が自分の体験をつくっていると理解できたら、外側の出来事や環境はあなたの脅威でなくなるどころか、今まで気づかなかったとしてもそれらの中に、慈愛や親切や温かさ、あなたと交流しているかけがえのない友達、仲間の存在を見ることができるんだよ!

あなたの人生で一度きりの2021年が終わろうとしている。
あなたはものごとをどう見る? どう反応する?
瞬間瞬間、あなたはそれを自分自身で決定している。

どうぞ楽しい月をお過ごしください。


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