みんながほしがっているもの、それは何でしょうか?【あなたの動機の根本と解決】

ギプスだね……私は今、新たに得た観点、姿勢を固定する過程にある。
完全に錯覚に陥って転落するほどの勢いはもうないけれど、「分離を前提としたエゴのものの見方、発想、考え」は時折顔を出す。その度に、自分の内で感じられるLoveの状態は、Non-Loveの状態に取って代わられるのですぐにわかる。ひとつの自己という「目覚めている状態」から、幻想に入り込んだことが痛いほど明らかなのだ。

恍惚と呼んでもいい素晴らしい状態を「平常」にした後で、その幻想に戻ることはひどく心地の悪いものだ。常にざわめきが背景にある中で、アラートが鳴っても気づきにくいでしょう? でも、静寂の中でだったら、同じアラートの音も耳をつんざくように聞こえるということ。強烈すぎて、「これは望んでいない!」ということが明らかで、「でも、やっぱり、いいものかもしれないぞ」などと握りしめる意欲もなくす。すぐに手放す決断をすることが、非常に容易にならざるをえないということだ。

あなたが目覚めれば目覚めるほど、幻想にとどまることには負荷がかかり、耐えられなくなる。そんな状態で「後戻り」しようとしたら、葛藤は深まるだけだ。

それから、あなたの中にある恐れも、恐れが一掃されようとしているときに強烈さを示すことがある。それについて「自分がそうしている」ということを知っていれば、おびえる必要は全くないが、あなたは必ずそれをあたかも「外部からの」影響であるかのように、または、「何か自分自身ではコントロールのできない」要素であるかのように体験するだろう。でも、騙されてはいけない。

抵抗すればするほど、あなたはそれを長引かせる。

強烈になった恐れは、あなたがそれを取り去ろうとしていることの証だ。
現象を否定しなくていい。現象を「いいことだ・悪いことだ」と価値判断するのをやめよう。
そこで足を止めずに、「見る」のだ。自覚するのだ。恐れはあなたが信じ、ただ自分で作っているものなのだということを。

私たちは明らかなことに覆いをかけ、何か他のもののように見て、体験する癖がある。
多くのドラマにあふれているこの世界で、私たちみんなが同じものを欲しがっているなどとは一見わかりづらく、自分でも自分の動機がそうであることを忘れる。

ものごとは見せかけの通りではない。

私たちみんながほしがっているもの、それは何でしょうか?

自分を「個別に分離した存在」だと思っているエゴは、「これが私だと思っている私」を中心に、細々とした計画を立てる。

外界(あなたの「体」も含む)への、自分にとってこうあってほしいという望みと、そこに基づくコントロールや心の動きに忙しい。
エゴと一体化した観点から、「この方が善い」という判断を本当に自分自身が知っていると思い込んでいるのだ。

一部しか見えない視野から、全体を取り仕切ることは無理というものだが、それができると錯覚している。
でも、一体自分がなぜそれをしているのかをわかっているだろうか。

私たちは「手段」に心奪われ、「目的」を意識していない。
駆られるように何かをしていて、本当には何がほしくてそうしているのかを自覚していない。

その、ほしいものを「生存の欲求」などに結び付ける人がいるかもしれないが、そうではない。私たちが求めているのは、それではない。
一見どんな理由、どんな動機に見えることにおいても、これから伝えるものが私たちの本当にほしいものであり、それが関わっていないことは決してないのだ。

常に求めているものを今得るには

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