何者でもない、を極めていく

「自己イメージ」が消えていく話をシェアしよう。自己イメージを「自分が理想だと思っている」理想に沿って変えることや、あなたにとってデメリットと感じられるイメージを手放すことを試みたことがある人もいると思う。でも、私がここで言っているのは自己イメージが単に消えることについてだ。

多種多様な自己イメージは、あなたが「真の自己」に戻ることによって消えてしまう。
真の自己とは、イメージによって説明できる自己ではない

私はここのところ引き続き、言葉に・文章にすると質がreduceされちまうぜ、劣化しちゃうぜ、と感じる体験ばかりが続いていたので、表現の意欲が激減しており、長年やっていたスピリチュアリティーを扱う仕事をやめた後に掲げた「物書き」という自己イメージもどうやら怪しくなってきていた。
表現の形態を変えるなどして(一例、音声メッセージ)、表現したいときには表現できる回路を増やしてはいるのだが。

引き続きというのは以下の記事、
「何もしないを見守る春【あなたの価値】」
「薄らいでいくことと存在のよろこび、コミュニケーションの姿勢の変化」
などにある通り、ずっとこの流れを明言していたからだ。

それどころか、だ。
「スピリチュアル」と呼ばれる分野に属するであろう関心の多くも消えた。
一応、世間の「スピリチュアル」のイメージに齟齬は感じつつも、そこ専業だったのに。それまで意義を持っていた関心の多くがきれいに消えたのだ。これには驚いた。

私自身の中のスピリチュアリティー(霊性)そのものは、いわば「存在」に属するものなので消えないが、今残っているそれを表現するときに「スピリチュアル」という呼び方は正直しっくりこない。太古から続く思想や、精神性と呼んだ方がよいのではと思う。

さて、そうした今まで一定の重要性を持っていた関心すらもが消えてしまうと、私が自分の経験、過去を通して「これが私だ」と思っていた自分というのは幻想だったことが明確にわかった。特にそうしようとしたわけではないのに自然と解体され、消えてしまったからだ。
幻想に対して真実とは、消えることができないものを指す。

それらが消えたことと、真の自己と自分がひとつになることとは密接に関係していた。
真の自己を自分と見て、そこにアイデンティティーを戻すならば、いかなる自己イメージも消えざるをえないのだった。
真の自己とは「生きとし生けるものの源」、ただ在るものだからだ。

自己イメージを明確に見る

たとえばあなたは、以下のような自己イメージを持っているかもしれない。

私はこんな性格で、こんな性質があり、こういう過去を持つ人間だ。男だ・女だ。年齢はいくつだ。このような外見だ。こんな特技がある・ない。この職業についている・もしくは無職だ。この活動をしている・何も活動をしていない。家庭内ではこんな役割がある・ない……など。

どれもこれもが幻想である。
あなたが形成してきた夢の中で、自分が信じたイメージだ。
信じてその通りに経験することは可能だが、あなたはそれではない。

中でも、私たちの多くが共通して持っている根本的な自己イメージは以下の通りだ。
(そしてこれも幻想である。そう気づくと、他のすべてが幻想だということがどうしてもわかってしまう!)

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