自分の望みに素直でいることの効能【ライフスタイルやファッションと癒し】

自分で叶えられる範囲内の望みでも受け止めずに無視するっていう、日常的な虐待を私たちは自分に対してしがちなんである。
望みを無視すると「苦痛」という形で自分の内から注意を引く声が上がるから、そこまでになってはじめて「解決」を考える。いや、この段階でも引き続き無視するなんてこともあるか。

望み、あるいは苦痛化した望みをそれでも頑固に無視するのは、自分の望みよりも他の何かを優先し守っているから……で、こういった話はこれまでも沢山のnote記事や、最近ならライブ配信の中でも語ってきた。
それが「癒し」の理解に欠かせないからだ。

そう、自分の望みに忠実であれば、それらは苦痛化することなく、私たちには癒しの必要もなくなる。
癒しの根本については先月(4月25日)◆「素直でいることの連鎖、ひとつの自分で生きること」で解説したばかりだが、要点が詰まった記事なので、癒しという観点からあらゆる出来事に共通した本質を理解したい人におすすめする。

……話を戻すと、私たちは自分の心が湧き上がらせる望みに忠実でいる必要がある。
聞き分けの悪い子だと叱る親のように「黙りなさい!」とそれを抑えつけることは苦しみを生む。

自分の望みを否定するということは、あなたがここにいること、この人生を経験していることを否定することになり、生きる気力が擦り減ってくる。
「どうして自分がここにいるのか、わからなくなる」のだ。

そりゃそうだ。自分の心から湧き上がる望みはあらかた叶えられず、自分で信じている「義務」「やらなければならないこと」ばかりをこなしていくなら、自分自身の生きるよろこびを実感するにはほど遠く、死んでしまいたくなるだろう。

この記事の始まりで「自分で叶えられる範囲内の望み」という言い方をしたが、一見制限があるかのように見える日常の中でも、自分がその気になればたった今からでも叶えられる望みが多々ある。

ライフスタイルという分野もそうで、特に誰かを見本にすることじゃないし、他者から見て素敵かどうか、真似したいと思われるかどうかなどは一切関係ない。
自分が自然でいるとどうしたいのかということに素直になり、それを自分の暮らしで実行しようというそれだけのことだ。

ただし、特に大人の場合は、望みといっても「何かをやめる」ことの方が先に出てくるかもしれない。
自身に負担になっている、もはややりたくない何かを「やめて」初めて、「何をやりたいか」を自覚するかもしれない。

自分の心に素直になるライフスタイルで不要になったこと、実行してきたこと

私はいわゆるナチュラリストではないけれど、「自分の心と感覚に素直に従った結果、やらなくなったこと、新しくやるようになったこと」が生活の中で色々ある。
まだ少数派、人によっては一風変わった生活習慣と受け取るものもあるだろうが、この七年程度の間に私が次々と実行し、今となっては定着した内容だ。

具体例としては、
シャンプー・コンディショナー・石鹸などを洗髪に使わない、顔のスキンケアをしない(化粧水や乳液や天然のオイルなどすべて無し)、美容室行くのをやめる、白髪染め(ヘナ含む)やめる。

その結果、新しく生まれていたライフスタイルとして、
セルフカット(自分で髪を切る)、素のままの爪をやや長めに保つ手入れ(以前から爪の手入れは自分でしていたが、いつも短めに整える癖があったのを変えた)※、眉を生来のナチュラルに戻す……などがある。
※なんで爪が関係するの? と思う人もいるかもしれないが、ヘナ(インディゴを混ぜたものを使っていた時期もある)をしていた頃は、染めるときは手袋をしていたものの、ヘナ後の洗髪でいつのまにか爪に色がついてしまう傾向があり、その状態では伸ばしたくなかった。

新しく生まれたライフスタイルという「結果」を意識していたわけではなく、どちらかというとやめたくなったことをその都度やめていったら新たな習慣が登場していたという形だ。

生活様式、自己表現としてのファッション

このnoteでは、そうしたライフスタイルの模様を綴った記事を★「そのまま生かすファッション部」というマガジンにピックアップして収録している。

というのも私としては、たとえば「自然派」などの思想面でこうしたライフスタイルを実行しているというよりも、どちらかというとファッションのカテゴリーで捉えているのだ。
快適で自分に合っているスタイルは、本人の体現するファッションの様式であり、人生の時期や暮らしとともにその内容が移り変わってもいくだろう。
その変化にはもちろん時代や社会との関わりも含まれるだろうから、これは自己表現を伴うファッションなんだと私は感じているのだ。

解放、癒しとしてのファッション

そして、そこには「解放」と「癒し」の要素が含まれる。
これまで自分を縛っていた考えから自由になり、新たな、いや、従来自分に備わっていた美と快適さに回帰する。

私の髪の現状を例に挙げよう。
私は昨年末からショートのヘアスタイルをキープしているのだが、短い髪にしてからの方がセルフカットの頻度と自由度が上がり、こまめに色んなカットをして形を変えてみるなど遊んでいるので、以前ヘナで染めていたところがだいぶ切り落とされていった。

その結果ようやく、現在の全体の長さの三分の一から二分の一ほどが無染色の「シルバーヘア」になっている。
私は全体が今の自分の「素」の色に統一されるのを楽しみにしており、昔の黒髪に戻ってほしいとは全く思わない。白髪って、白ではなくて色素のない「透明毛」で、私の感想では本当にきれいなんだよね。
私が別次元で交流した地球外の存在たちの中には髪色が白や銀の者もいて、それを思い出すという意味でもこの髪色を私は楽しく好ましく感じる。

けれども私と同年齢の人で、女性では、ここまでシルバーの髪になっている人をそのままの姿で見かけることがまずない。
私よりもっと上の年代になると、染めずに白髪のままでいる「グレイヘア」が支持を得始めているようだが。

だから私は、以前はこのままでいたくても「周囲にとって、染めてある方が安心するのか(マナー的な意味で)」と譲歩する考えを持っていた。そこを妥協していた。

多くの人の考えはあまり私に関係ないとしても、親しい人たちが「染めた方がいい」と言えば、それはまだ私に響いていたのだ。
ストレートに言えば、身近な人たちに恥ずかしい思いをさせたくないとか、私の姿を見ることで残念に思ってほしくないとかの気持ちがあった。

でも、転機になったのは、いつものおなじみの「あの引き金」だ。
この記事前半で述べている内容を思い出して……。

いつでも引き金になるのは!

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