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創造のマスターとして生きる

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人生という夢を見ている主であることを自覚して創造する者がマスターです。人生を明晰夢にしよう。「霊的な目覚めと創造」マガジンに次ぐシリーズ。
運営しているクリエイター

#意識

スピリット界に融合される人生・「スピリットとして生きる」マガジン開始

これまでは「物質界」「非物質界」が分かれているかのような感覚を持てた人生が、満を持してス…

masumi
6か月前
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どっちを信じる?リアリティー【ヒーリングや奇跡】

ヒーリングといってもやり方は色々あって、その本質は変わらないにしても主にこの世での表現の…

900
masumi
6か月前
5

風の時代というよりは水の時代【どんな変化が起こっているか】

いつからか「風の時代」という表現をよく聞くようになったね。それを使う人たちの定義や占星術…

880
masumi
7か月前
5

REASON and MEANING【時の使い方と幸福】

生きていると様々な痛みがある。理不尽と思えることも、表層の自分には、なぜこうなっているの…

900
masumi
7か月前
6

情報のかたまり同士としての私たち(個性や相性の話も)

意識の「中に」世界がある、私たちの経験があるという話をこれまでにしてきたが、この理解が定…

720
masumi
7か月前
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Living in another light「が、しかし」エネルギーヒーリングへの情熱が再燃

このところ新しい観点で生きてるよ、という話をこのnote上でちょくちょくしてきて、それがタイ…

masumi
8か月前
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「I(私)」の立ち位置の念押し・それによる人生体験の違い

「私」という視点をどこに置くか、「私」とは何だと思うか、私たちのアイデンティティーにまつわる根本的な話を、これまでも講座や記事や諸活動を通して度々伝えてきた。 それでもまだ、これを言うのは、「I(私)」の置き場によってとんでもなく人生体験もその結果も違ってくるから。 私自身がこの違いを度々実感し、伝えるだけの価値がある内容だと心から思っている。 「普通に」個人としての自己を「I(私)」と感じながら生きていると、人生は現代風の表現で言えば「無理ゲー」だ。 まったくそう感じた

有料
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思考の成就について(叶う・叶わないという考えは不要であること)

ここしばらく興味があるのは、思いを成就させないということが可能であるのかどうかという点だ…

1,100
masumi
9か月前
16

すべて完璧であるという視点

芋虫、さなぎ、蝶――の段階にたとえると、さなぎ期間の実感はあっても、蝶の期間に入ったとは…

800
masumi
10か月前
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二元性が本当にないことが示す生き方、反復的現実という囚われからの解放【遊びは遊び…

目の前にあった岩がゴゴゴ……と動いてしまったように、違う景色が見え始めている昨今。 岩が…

1,000
masumi
11か月前
19

人間関係や場所の不思議【エネルギー的な観点】

「自分の現実は自分で創っている」にせよ、自分が認識できている自分というのはどうも範囲が狭…

750
masumi
11か月前
14

遺言のような気持ちで【変容と時期】

毎週のライブ配信(現在は週二回)を行うようになってもうすぐ二ヶ月経つが、私のこの新しい試…

750
masumi
1年前
16

内と外は同じものだと気づくこと(五感すらも……)

色々な分離をなくしていっている昨今。変化は「内」からしか始めることができないということを…

850
masumi
1年前
16

夢の出来事の継続と、とまどい【ついたてを外したあなたは】

昔から、ひとつの人生を生きているという感じがちっともしない。同時進行で複数の現実を見ている感覚は、私にはなじみ深いものだ。これはことさら「スピリチュアル」と呼ばれる分野に関わる前から、そうだった。 自分を個人と定義しようとしても、「どの個人?」との問いが自然に浮かび上がってくるような、そんな素地がある。様々な現実、様々な人生を同時に垣間見、体験するとはそういうことだ。 起き抜けに、あえて言語化するならば「これはどの自分、どの現実だっけ?」という感覚を伴い、しばし「この特定

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