すべて完璧であるという視点

芋虫、さなぎ、蝶――の段階にたとえると、さなぎ期間の実感はあっても、蝶の期間に入ったとはっきり認めることはこれまでの人生でなかった気がする。
しかし今は蝶の段階に入った実感がある。
そしてそこからの視点は、「すべて完璧である」というものだった。

この「完璧」は世間一般の思い描く完璧とは異なるかもしれない。
ある理想像を満たすというものではないからだ。
望みに沿わない何かを見たとき、それが望みに達する状態を「完璧」と考えるなら、今ある完璧は見えない。

今ある完璧が「気に入らない」と思えるのが私たちで、では、それは何に対して誰が気に入らないと判断しているのだろう?

小理屈によって現状を「完璧と思うよう」強制することはできない。本人が「これを完璧とは思えない」と感じているとき、その感覚を殺すことはできない。

けれども――今、私は見ている。すべて完璧であることを。
状況・状態の変化じゃない。私のこの「見え方」が、蝶の期間に入ったことを実感させるのだ。

何もかもが絡み合った精巧な網目

この視点を言葉で説明するならこうだ。

網目状にすべては繋がっていて、途切れているものは何もない。
すべての要素が単独では存在していない。
その中で、あなたにとって今「悪い」と思っていること、理想に達しないとか望ましくない、明らかに変えたいと思っている物事などを挙げてみよう。

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