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後悔、罪悪感、自責、自己否定、自己批判…『自己責任』で苦しむ人へ

人の行動は環境とその人の性格や考え方で決まるらしい。

そして、その人の性格や考え方は、家族関係等の環境と遺伝によって形成されるみたい。


そうだとすると、自分でやった事についての責任は自分で取るべき、とする『自己責任』はどこまで追及できるのか、ちょっと疑問に思った。

だって、言ってしまえば、究極的に人の行動は環境と遺伝によるということになる。そこに本人の自由とか意思とかは想定できないじゃん。

それなのに本人に責任を負わせて、何らかの不利益を生じさせるのってどうなの?って話。


参考までに、ここまでの話を式みたいにするとこんな感じ。

人の行動=環境+性格・考え方

性格・考え方=環境+遺伝

人の行動=環境+遺伝 ⇐ 本人の自由や意思は想定不可


ただ、この理論を突き詰めると、誰も責任を取らなくて良い(というか『責任』というものが観念できない)世の中になっちゃって、社会が崩壊する。

どんなに『悪』とされる行為も正当化できる理論だからね。

(もっとも、そもそも『悪』って何?って問題点があるけど、これに触れると長くなりそうなので今回は省略。)


そこで、『自己責任』理論は、このようにして誰も責任を取らない事によって社会が崩壊するのを防止するための便宜的な理論に過ぎない、と考えるべきではないだろうか。

社会崩壊を防ぐため、やむを得ず問題の原因を(なかば無理矢理にでも)探し出し、責任として不利益を負わせる、というようなイメージ。

自分のしてしまった事で後悔している人、罪悪感に苛まれている人、自責、自己否定、自己批判してしまっている人。『自己責任』で苦しんでいる人。

『自己責任』を、このように(適切な表現かは怪しいが)軽い責任だと捉えてみてはどうだろうか。

なにも必要以上に罪悪感や後悔で自分を追い詰めることはないのだから。

少しオーバーかもしれないが、社会を守るために不利益を敢えて引き受けてやっているんだ、くらいの心持ちでいこう。(笑)

(参考までに。着色ver.)

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