受動的とは“美しいこと”
「積極的」と「受動的」のイメージを聞かれた時に、
なんとなく「積極的」の方が“良い”と考えてしまう自分がいた。
もちろん、良し悪しはないと頭で分かってはいるが、
幼少時代・学生時代から「積極的」に行動されることを
求められてきたし、評価も高い印象があった。
また、
「積極的に発言していて凄いね!」
「もっと、積極的になった方が良いんだろうけど。。。」
「私は受け身だから。。。」
といったコメントを聞くと
なんだか、積極的なことの方が偉いかのように感じてしまう部分もあった。
それこそ、相手の話を聴いたり、場の雰囲気を大切にしたりする上では、
間違いなく「受動的」であることの良さが発揮されるはずなのだが、
そのことを相手に伝えても
「だた話を聞いてるだけだから、、、」
「周りに合わせてるだけで自分がない、、、」
といった、ネガティブな返答も多く
私だけに限らず、他の人にとっても
受動的であることをネガティブに捉えている人が多いのかなと思っていた。
そうした前提を持っていた中で
受動的=控えめであり、美しい
という話を聞いたときに、とても衝撃が走った。
そんな捉え方があったのか!と。
彼女の中では、積極的の方は「わーわーしていて騒がしい」イメージ。
それに対して、受動的は控えめではあるかもしれないけど、
その姿に美しさを感じるとのことだった。
考えてみれば、
「積極的」だとしても
相手のことを考えずに発言を一方的にしたり、
場の空気を乱してしまったりすれば、
みんなにとって心地よいものではない。
「積極的」な方が目立ってしまうシーンが多い分、
良い面が取り上げられがちだが、
逆に左右することもあることを、改めて思い出される出来事だった。
私はどちらかというと、
「積極的」に部類されるタイプだと思われがちで、
周りからの反応にどう返せばいいのか困ることがあった。
「積極的」だからといって良いわけではないし、
どうしたら「受動的」であることの良さを伝えられるか悩んでいたのだが、
受動的=“美しい”
と感じる人もいるという話をシェアしていくことで、
「受動的」に対する印象に少しでも変化があったら良いなと思っている。
結果、
「積極的」もいいし、「受動的」もいい。
つまりは、
「あなた」もいいし、「わたし」もいい。になれたら
お互いにハッピーだなと思う。
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