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「書きたいように書く」を取り戻す

先日『Filmarks』のアカウントを作成しました。

(まだアイコンすら設定してない)
映画やドラマのレビューを投稿したり、他の人が書いたレビューを読めたり、見たい作品をメモ代わりに登録しておける機能があったり、、、などなど。
書籍全般に対応しているレビュー投稿サイト『読書メーター』の映画版という認識で使用しています。

Filmarksを知ったきっかけは、大好きなプロレスラーの高橋ヒロムさんが映画のレビューを投稿し、Twitterに連携していたのを目にしたことでした。
彼の独特な言語感覚で綴られるレビューのひとつひとつを興味深く堪能し、一度観てみたい作品を勝手にメモしたりなどしました。

で、つい最近。
やましたひでこさんの断捨離本を再読した事をきっかけに、いろいろな物を手放す作業を行っていた時。
昔買った映画のDVDが出てきたんです。

佐藤祐市監督作品『キサラギ』。

観てみようかな、と気まぐれが湧き起こった瞬間にFilmarksの存在を思い出し、どうせ観るなら感想を残そうと決めたのです。
その後すぐにアカウントを作成してから、DVDで『キサラギ』を観ました。面白かった。久々に声を出して笑ったような気がします。
熱が冷めやらぬうちにと感想を書き綴り、Filmarksの自分のアカウントにレビュー第一号として投稿しました。

始めてみて気が付いたのですが。
動画のサブスクリプションサービスが充実しているおかげか、あるいはおうち時間が推奨されるご時世だからなのか。
おそらくはどちらも関係しているかと思うのですが、Filmarks、アクティブユーザー数がかなり多いようなんです。
特に話題作や人気作だと観る人も多くて、レビューを投稿してもすぐに別の人が投稿する事が繰り返されるので、自分の書いたものがどんどん下に流されてわりと早い時間で埋もれていきます。

加えて、noteで言うスキ・Twitterで言ういいね・読書メーターで言うナイスといった、レビュー読んだよ!よかったよ!という書き手へのアクションを行うための機能がタイムライン上に無い仕様。
いいね!のハートマークを書き手に送りたかったら、一度そのレビューをタップして次の画面に進む必要がある。
次画面に進む→いいね!をタップ→前画面に戻る、という一連の動作、さくさく読んでいきたい時にはなかなか面倒な手順だったりします。
おかげで私自身もFilmarksでは、よっぽど心動かされたレビューにしかいいね!のハートマークはつけなくなりました。(noteのスキやTwitterのいいねは、後でじっくり読みたい時などの備忘録としても使っています正直)

レビューを書いてもすぐに埋もれる上にリアクションも来ない。
だから「誰にも読まれないもの」という前提で書く事になる。
厳密に言えば、基本的に読み手が未来の自分しかいないという前提でレビューを書く。
そういう体験、最近全然できていなかったんじゃないだろうか。
と、ふと立ち止まって考えた次第です。

Twitterで投稿するツイートにはツイートアクティビティという機能があるので、閲覧数などの詳細を確認する事が可能です。
noteにも記事のアクセス状況を確認できる機能がある。
読書メーターは長く続けている事もあるからか、ありがたい事にフォロワーもどのSNSより多くて、感想を投稿すれば一定数のナイスをいただきます。(大感謝)

一方Filmarksにはそういった機能が一切無く、前述のとおりいいね!を送るのも手間がかかるので滅多に来ない。
(だからたまに来るとすごく嬉しい。偽りなき本音。)

読書メーターやnoteでは「良かった」「面白かった」「可愛かった」という一言で済む心の動きを、
・どう良かったのか。
・どこが面白かったのか。
・どんなふうに可愛かったのか。
と、できる限り言葉を尽くして書きたいと考えています。
加えて含蓄のある表現や、自分ならではの感情も並べたい。

そこに心を砕くのは、大変だけど面白いものです。
そうする事で初めて生まれ得る言葉や表現は確実にある。
それに、開かれた場所に発信するのだという自覚と節度も大事。

でもその自覚や節度が、感情の昂ぶりに対しては、過度な枷となる場合もあるのかもしれない。
小松菜奈さいっっっっっっっっっっこうに可愛かった!!!!という文字列で伝えられるだろう熱量を、可愛かったという言葉を使わずにどこまで表現できるか。そこに肉薄できるか。などど挑むのも楽しいものだけど。
可愛かったとひたすら文字で絶叫して、数年後に見返した時に、その文字列から心の昂ぶりが一瞬で蘇る。
他者に見られる事を前提にして、意地悪な言い方をすれば取り繕って、冷静と客観を駆使して綴った文章では、そういった現象は起こりにくいのではないだろうか。

予想のような仮定のような語尾になってしまうのは、わたし自身あまりにも長い事、誰かに見られる事を前提とした感想や日記ばかりを書いてきたからです。
もう一度書くけれど、誰かに見られる事を前提として書く事で、初めて生まれ得る言葉や表現は確実にある。
だけどわたしの場合、それは「書きたいように書く」とは別の行為で、その事に気付かせてくれたのがFilmarksに投稿するレビューを書く体験だったんです。

思索を掘り下げるnote、出力の瞬発力を上げる特訓になるTwitter、自分の感情を俯瞰した上で言葉にする読書メーター、そして動いた心のままに書くFilmarks。
ざっくりですが、そんなふうに使い分けができればいいなと今は思います。外側への発信から自己満足まで、いろんな書き方を試す事で新しく見えてくるものもきっとある。

でも実際はFilmarksは映画とかの感想しか書けないから、なにもないところから書きたいように書く事を積み重ねていく経験もしたいです。
昨日noteに書いた15分チャレンジ、これからも時々やってみます。
(ここに繋がるとは昨日書いた時点では思いもしなかった)

なんだかんだで書くことが大好きなんだ。



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