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自分史 ~Part1~

第1章: 家族の危機と自分の犠牲

 私は福岡県で生まれ育ちました。家族は両親と2歳下の弟がいる4人家族でしたが、両親の仲は良くありませんでした。日常的に家庭内での争いが絶えず、その影響を受けながら成長しました。私が11歳の時、ついに両親は離婚を決意し、私は父と弟との父子家庭での生活を始めました。

 家庭環境は厳しく、私は自分の時間をほとんど家庭のために遣いました。家事や勉強に追われ、友達と遊ぶこともほとんどなく、人間関係の悩み・ストレスを感じながら過ごす日々でした。特に家庭内での役割を果たすことに必死で、家の外での交友関係や楽しみを犠牲にして来ました。

 中学に入学した私は、友達の誘いでソフトテニス部に入部しました。しかし、そこでの人間関係のストレスが私を過食へと追い込みました。短期間で体重が増加し、自分に価値を見出せずに生きてきた私にとって、ますます自信を失いました。過食による体重増加と共に自己評価は低下し、身体の変化に対する焦りが募りました。

 ある日、同級生の男子から「顔がぽっちゃりしたね」と言われたことが、私にとって大きなショックでした。この一言がきっかけとなり、私は急激にダイエットを始めました。ダイエットは、次第に行き過ぎ、極端な食事制限と運動に没頭するようになりました。その結果、14歳の時に拒食症と診断され、初めての入院を経験しました。

 私にとってダイエットして結果が出ることが、自己価値を見出す唯一の方法となっていました。幼少期から「年齢の割にはしっかりしている、落ち着いている」と言われ、手のかからない優等生として生きてきました。そのため、自分自身に課すプレッシャーも大きく、周囲の期待に応えようとするあまり、心と身体を犠牲にしていました。

 体重が減ると周りからの関心が高まり、そのことも痩せへの執着を強める一因となりました。家族の期待と自分の身体に対する執着が交錯し、私の心と身体は限界に達していました。

 父子家庭での生活と、拒食症で入退院を繰り返した経験は、後に私がメンタルヘルスの道を選ぶきっかけとなり、「同じ境遇で悩み苦しむ人たちへの心の支えになる」という目標を持つ原動力となりました。

第2章: 挫折と挑戦

 中学3年での退院後、私は地元で一番偏差値の高い高校に入学することを目指して猛勉強を開始しました。入院中の遅れを取り戻すために毎日必死に勉強し、翌年2月の高校入試に無事合格しました。しかし、高校2年の秋に再び体調を崩し、再入院となりました。入院生活のために出席日数が足りず、私は1年間留年することになりました。

 このような挫折の中でも、私は福祉学科への進学を目指して努力を続けました。県立大学を希望していましたが、センター試験で思うような結果を出せず、私立大学の福祉学科に特待生として進学することになりました。弟も私の1年後に国立の大学に進学。学費は父に負担して貰っていた為、金銭面の負担を減らそうと、必死に福祉について勉強し、4年間特待生の資格を維持し続けました。

 大学卒業時に、社会福祉士と精神保健福祉士の国家資格を取得し、精神障害者の共同生活援助(グループホーム)に入職。約5年間、精神障害者の生活支援を行うための知識とスキルを身に付けました。学生時代の苦労と努力が実を結び、私は次第に自分の将来に対する希望を見出すことができるようになりました。

 このように、家庭環境や健康問題に苦しみながらも、私は自分の目標に向かって努力し続けることができました。この経験が、現在の私の自己価値観「人の役に立ちたい、同じ境遇にある人の心の支えになりたい」の情熱を形作る基盤となっています。

次回、第3章と第4章を書きます✍