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秘密基地でわたしは総理と呼ばれていた 忘れられない先生その3


高校2年に無事進級したのも束の間、わたしは知らない間に病魔に肩を叩かれ…いやむしろスクラム組まれていて


「お母さんんん今日学校休ませて…」


と欠席したが最後、気づけば病院のベッドの上でした。


無事に夏休み明けから登校していましたが、月1の通院は欠かせませんでした。


高校2年生の一大イベントと言えばそう、修学旅行です。
確か、東京と北海道の予定でした。
わたしは体力、体調に激しく自信が持てず不参加を決めました。


これはわたしの、人がなかなか経験しない経験のひとつです。


さて、修学旅行不参加組がまず課せられるのは、時間通りの登校と自習…だったはず。


今となって、修学旅行の時期も行き先もスケジュールもあやふやな理由は行ってないから。


それから修学旅行で居残りしていたときのスケジュールまで曖昧な理由は…別の記憶があるから。


不参加組の監督担当の先生が、今回の忘れられない先生になります。


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10人前後だったような不参加組の内訳は、スポーツ組が過半数だった気がする。


遠征とかぶるとか?
そういうのって週末じゃないのか?
修学旅行は平日なのに?
それとも大事な試合が近いのか?
修学旅行より練習が優先なのか?
スポーツ組で参加できない人が発生する理由は永遠の謎。


あとはわたしのような、スポーツ組じゃない人たち。


監督の先生は2年生に上がって初めて教科担当で当たった古典の先生で


「古典教えてそ〜笑」な、ほんわか系おじさん先生でした。


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初日、数時間ほど自習していたら、先生に4人ほど呼ばれて、その中にわたしもいたんですが


選抜されたのはスポーツ組じゃないわたし含め3人と、特殊スポーツ組の子…だった気がする…


連れられた先は広報室とやら。


広いとは言えない室内に、ぎっしり資料やら荷物が入っておりました。
生徒の立場からすると、こんな部屋があったんだ…と思いました。


そこで先生「君たちはわたしの手伝いをお願いします」


内容を聞くと、学校案内のパンフレットとお知らせ等のセット組みのようで、それはそれは大量にありました。


そこで口を開いたのはわたし


「先生…まさかとは思いますが、タダで(手伝えと)?」


こんな生徒、こんな女子高生、先が思いやられますね。


先生は吹き出すのを我慢するような雰囲気をだして


「あとでジュースでも買っておいで」


と報酬を渡してくれました。イェーイ。


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集められた4人組は、クラスはもちろん、コースも違うはじめましてのメンバーでした。


作業しながら雑談してましたが、わたしがなんかの流れで先生に


「先生って官房長官っぽいですよね、官房長官って呼んでいいですか」


って言ったんですよね。どんな生徒やねん。


年上の人たちってよくアイドルグループを見て
「全員同じ顔に見える」と堂々主張しますが


若者にとってもおじさんってみんなおんなじに見える…(小声)


この年になると、若者が全員同じ顔に見える現象に少々頷けるようになってしまいましたが


コロナ禍のマスク生活において、年配の方の見分けの難易度もさらに上がった気がしています。


でも先生は嫌な顔せずに「じゃあさやこさんは総理ね」と乗ってくださり、官房長官と総理の関係が成立しました。笑


4人の中にたまたま当時の某都道府県知事と同じ苗字の子がいたので、その子のあだ名まで【知事】になりました。


肩書きだけ無駄に偉そうなメンバーが揃いました。笑


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それから自習しては広報室に行き、先生にジュースをねだる3日間を過ごしました。
(どんな3日間だ!)


と、書いてみましたが、自習をしたことも、他のスポーツ組のことも、初日以外はあんまり覚えていません。
(どんな3日間だ!!)


そうして、わたしたちの修学旅行の居残りは終わったのでした。


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それから全く広報室に行かなくなったかと言えば、そんなことなかった気がします。


そこでの他の子たちとも、ゆるーく縁は続いていた覚えがあります。


というのも先生がちょいちょい
「また遊びにおいで」と声をかけてくださってたんです。
よく行ってたと思います。


でも手伝うことがあるわけではなく、ただダベってこっそりお菓子食べて…というのがなんだか罪悪感も全くないこともなく、足が少し遠のいていた頃


提出した古典のノートに先生が
【たまに遊びに来なさい.お菓子を用意して待っています】とコメントを書いてました。


笑いこらえるの必死になった。


今思えばめちゃくちゃ可愛がられてますな、総理。


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卒業式の日。
そのときのメンバーを見つけて写真も撮り、お別れできました。


先生は地味に人気があったので、探すの苦労しましたがちゃんと見つけました。


「次の進学先は反対方向でしたよね」
「そうですね、かすりもしないですね」


と我ながら冷た過ぎる返事をすると先生は
「さみしい〜さみしすぎる〜〜」とおっしゃってました。


「遊びにおいで、と言っても、実際来れないだろうな…元気でね」


さみしい先生の言葉は、書くと小説みたいだけど、こうやって先生たちは生徒を送り出しているんだろうなと思いました。


先生とは、先生の予想通り、それっきりです。
転がるように今日まできました。


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よく漫画とかで、生徒会室とかなんとか準備室やらに入り浸って…みたいなシーンがありますが


「スクールカーストの頂点の特権やな」と


漫画相手に「キラッキラやな」と思ってましたが


スクールカーストの頂点じゃなくてもあったわ!
と今回改めて思い出しました。


作り話ではありません!笑


修学旅行、よりも、とは言いません。
行けるものなら行っときたかったという方が素直な気持ちの気がしますし、


実際本当は行けたとは思うけど、体がキツいと気持ちも弱くなりますから、やっぱりちょっと難しかったです。


でも、居残り組でも先生のおかげで、こっちはこっちで楽しい居場所と人間関係を築くことができました。


辛い思い出にならずに済みました。


辛くなかったから、忘れてたんだと思います。笑


後日談ですが進学先だった専門学校は、研修旅行と称した修学旅行がありました。


行き先はなんと北海道。


これを知ったとき、本当に震えたし、無事に行けたときは、人生で経験すべきイベントとして回収出来た気がしました。


やっぱりあの時は、無理しなくて正解だったようだ。

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人生には確かに失敗というものはあると思います。
でも間違いはない気がします。


失敗したらやり直せばいいし、間違いは間違いではなくて、大方が”想定外”なだけなのではないでしょうか。


あっちのルートがよかったかもしれない。
と思わなくても、必要とあれば、こっちのルートでもそれは回ってくるようです。


今のこのルートの尊いものを見落とす方がよっぽど勿体ないです。


飛び込んだ想定外のルートには、忘れられない先生と仲間がいました。


卑屈にならずにいたから、遅れてやってきた北海道も楽しめました。


卑屈にならずに済んだのは、先生と広報室の仲間のおかげです。


ありがとうございました。


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2021.5.24


noteさんからトロフィー頂きました!

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みなさんのおかげです。
ありがとうございました!






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