【自分を大切にできない人は、他人を大切になんてできない】

っていうフレーズありますよね。 
 
 

今日は「組織変革をどのように実現するか」といったテーマについて他社の方々とディスカッションする機会がありました。
 
 

そこで僕も含めて各々感じていることや気になっていることを共有し合ったのですが、印象に残ったフレーズとして、「自分を大切にできず、限界を超えるくらい、頑張ってしまった」という話でした。
 

自分のことは脇に置いて他人を大切にしようと尽力した、ということだった。
 
 

このフレーズ、僕にはとても沁みました。

 
 
僕は、子供が生まれてからようやく「これが家族か〜」なんて実感が湧きました。
そして同時に、人事として、「家族を幸せにできない人が社員を幸せにできるわけなんてない」なんて思っていた節がありました。
 

要は、身近な人すら大切にできなくて、他の人を大切にできるかい!という話です。
 
 

でも、今日出たフレーズを聞いてふと思いました。
 
 

「あ〜そもそも自分のことを大切にするってめちゃくちゃ難しいことなんだな」と。
 

そして「他人を幸せに『する』って見方によってはおこがましいとも言える可能性もあるよな」と。屁理屈っぽいけど、誰かを「〇〇にする」って相手を変える前提だから。
 
 

まあ普段からこんなこと考えてたら、哲学者か僧侶かよって話になるので程々にですが笑、たまには良いでしょう笑
 
 

例えば組織「開発」とか、人を「育てる」とか、誰かのモチベーションを「上げる」とかも同じ発想ですよね。
 
 
でも組織って元からあるものだから本来「開発」されるものではないはずだし、人は「育つもの」。そもそも育つ気がないと育たない。

 
こういった日常的に使っている言葉を一つひとつ、見直してみたいな〜と思いました。

 
で、自分を大切にする話に戻すと、人って自分を犠牲にして誰かのために尽くす時があります。その背景にあるエネルギーは義務感や恐れかもしれないし、本当にその人を応援したいのかもしれない。

 
 
だからこそ、自分のことを大切にするって実はとても難しいことで、ここの捉え方が変になると、「自分、最近怠けてないか?」とか「自分を甘やかしてないか?」なんて思って、既にボロボロな自分に鞭打っちゃったりなんかする・・・。
 
 

でも家族にせよ、友人や同僚にせよ、ボロボロになっている自分を見て幸せになる人っておそらく少なくて。
(あなたのためだからって必死に頑張られても、言ってる本人が傷だらけだったらあんま嬉しくないよねっていう笑)
 
 

まとめると、まずは自分を大切にできるように、ちょっと成長したり、頑張った自分を認めてあげるってことが重要なのかなと感じた日でした。だって、人間だもの。
 

そして周囲に対しても、そう感じてもらえるようなコミュニケーションを意識するだけでもかなり関係性や組織の風土は変わるはず。
(そういえば、イチローも自分を認めてあげることが大事って言ってたな)
 
 

結果として、自分の心に余裕ができて、相手に対して寛容に接することができるとか、偏見なくフラットに相手と向き合えるとか、そんなことに繋がるのだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?