【うつ症状から逃れた時に私がしたことをシェアします】



これはあくまで体験談であって、万人に効く保証などはありませんが、私はこうやって社会復帰出来ました的なことです。

【目次】

・ベース(経緯のようなもの)
①牛丼屋の牛皿をとにかく食べまくった
②魚の缶詰を食べまくった
③情報入手を続け、自分が発達障害だったことを知り、自分の身体の声を聞くことを習慣化する
④筋トレ
⑤モノを捨て、掃除をする
・まとめます(何かと補足あり。まとめられてない)
・側にうつな人がいる時は
・あとがき

です。

【ベース】
アスペルガーと不注意優勢型ADHD
二十代前半で2次障害としての双極性障害2型発症
  ↑
と、言われているが現在はこれら全ては「いまいちよくわからない人間に対する説明付け」程度のものでしかないと理解している

①いわゆるブラック企業に勤めて、サービス残業の結果、平均睡眠時間2時間程度というのを1年半続け、脳を破壊し尽くした挙げ句、ギリギリのところで退職。対人恐怖のような感じになり病院に行く。うつ的な症状の自覚あり。

②病院で出された薬を飲み始めて一週間で1日の大半を布団で過ごす身体に変わる。家から40分くらいの病院の往復でほぼ1日費やす。電車に乗っても一駅が限界で下車してうずくまってはまた乗る。みたいなノリ。バリバリのパニック発作。本能的に「騙された」と感じ、病院と薬をやめると決断した。

③薬が抜けていくにつれて身体が動く様になったが、運動は散歩や自転車で買い物が限界。読書は1分で、字を書くのも一行で吐き気とめまいがして寝込む。未だ社会復帰困難。

④斎藤一人さんの音声で、「うつみたいな心の病の大半は、私は栄養障害だと思っている」「肉、食わないと駄目だよ。野菜ばっかり食べてたんじゃ、ちょっとの恐怖で動けなくなるんだよ」「穀物って、植物だからね」というのを昔聞いたのを思い出して、自分の食を見つめ直す。麺類、ご飯ものが大好き。炭水化物好きすぎ。「穀物は植物」という方程式を当てはめてかえりみるに、自分があまりに草食に傾きすぎていたことに気付く。

ここまでが行動開始前の状態です。以下、やった事と、体調、状況の変化を

【①牛丼屋の牛皿をとにかく食べまくった】
料理など出来る状態ではなく、食欲もなかった。出来ることは20分程度の自転車走行くらい。食べたいと感じるのは麺類、ご飯ものばかり。かろうじて食べてもいいかな?と思えるのが牛丼屋の牛肉。と思い、最寄りのすき家に行って牛皿を頼んだ。一食において穀物を一切取らないという行動を初めてとった。5年以上たった今でもその感覚を覚えていますが。

劇的に何かが変わった。

と、分かりました。希望と意欲が湧いてきたと同時に、ふと考えたのです。「肉は今までも少しは食べてたのに何故?」そこから、炭水化物というか糖質がひょっとしたら猛毒なのではないか?と感じたのです。肉の効果を消すどころかマイナスに身体を持っていくものでは?と。

3日ほど繰り返すことで、ネットで情報を集める事が可能なくらいに回復しました。これまでは読書と同じくスマホの文字も1分で吐き気がし、動画も無理だったのです。

それはともかく、不思議なことに牛皿が食べたくて食べたくて仕方がない身体になってました。今思えば、肉から取れる何かしらの栄養素がとにかく欠乏していたのだと思います。

【②魚の缶詰を食べまくった】
牛皿にたいする渇望が少しおさまったぐらいのタイミングで、ネットで調べた情報により、「脳機能を改善するには魚の脂がよい」「脂が抜けていない缶詰が良い」「缶詰で手に入りやすいのはサバ、鮭、サンマ、イワシ。それぞれにいい要素がある」ということを知りました。
なんとなく、食べたいと思えなかったんですが、「そうも言っていられない」と思い(←こういう思考がやっとできるよになった) スーパー稲毛屋の缶詰コーナーに。糖質に対する不信感があったので糖質のない水煮を購入。
そのままイートインで食べたところ。また衝撃。

これを機に、あれほど渇望していた牛皿が全く食べたいとは思えなくなったのです。

とにかく、美味しい、食べたい。サバ、鮭、サンマ、イワシ。その時々で食べたいモノが違うのです。「食べたい」に合わせて、食べたいものを食べる。牛皿の時と同じく、おそらく私の身体においてとにかく長年欠乏していたのだと思います。食べてはいても吸収されていなかった。

そしてここで実験をしました。糖質についてです。同じ魚の缶詰でも、水煮、味噌味、味付き(醤油砂糖みたいなやつ)と大体どこでも3種類あり。水煮は糖質0、味噌はチョロっと入ってて、味付きはガッツリ入ってる。
味噌と味付きも試したところ、予想通り、水煮で得た至福感には及ばず、また、糖質の多い味付きが特にその傾向が顕著だったのです。

さて、牛皿の時と同じく魚の缶詰もとにかく身体が欲するママに食べまくりましたが、もう、とにかく脳がグニョグニョと音がするような感覚を伴っていい方向行っているのが分かりました。

1ヶ月程度で読書、動画視聴、音楽鑑賞、日記などの執筆が可能になり、料理が出来るようになりました。

【③情報入手を続け、自分が発達障害だったことを知り、自分の身体の声を聞くことを習慣化する】

1年ほどで社会復帰(現在勤めている介護施設に就職)し、ほぼ同時期に自分がアスペルガーである可能性に気付きました。発達障害かどうかを調べる手続きをしつつ、自分が発達障害である事を前提に情報を集めて出来る事をしました。
社会復帰の1ヶ月後に離婚。
人生最悪の出来事に打ちのめされながらも、自分が発達障害である事を前提に始めた食事と運動により毎日、自分史上最高の気分(身体的な反応として)を更新するという。。とても皮肉な状態でした。

調べれば調べるほど、自分はもちろん、世間もいかに発達障害というものに対して無知であるか?ということが分かりました。これは持論であり、ことさらに侮辱するわけではありませんが、こと、発達障害に関しては医療は無知で、頼ってはいけないなーと感じました。
「わからない存在」「いわゆる医学が上手く当てはめられない人々」をひとくくりに「発達障害」と呼んでいるだけの雑な概念でしかないということに気付きました。その雑な概念に対して、アスペルガーだの、ADHDだの、学習障害だのと、これまた雑に分類しているんだなー。と、いや、そうすることしかできていないんだなーといった感想でした。
正直、「俺もう発達障害だろうし、薬も手帳も補助金もいらんし」という感じで発達障害診断に対する興味もなくなっていました。一応、受けましたが。

半年してようやく自己診断通りのアスペルガーと不注意優勢型ADHDと診断。
しかしその頃には食事と運動を中心とした生活改良によって発達障害者として困る「症状」はほぼ起きなくなりました。

残ったのはアスペルガー的な独自の発想力とADHD的な異様な集中力。特に後者は時としてマイナスに働きますが制御すれば得難い才能です。アスペルガーであると気付いた私が初めて読み、今も指針の一つとさせて頂いている吉濱ツトムさんの『隠れアスペルガーという才能』でも語られていたように。才能です。

正直、今は心底、「発達障害」の身体で生まれてよかった〜

と感じています。

【④筋トレ】
少し時間が前後します。社会復帰して1ヶ月後に離婚し、1人暮らしに。同時にジムでウエイトトレーニングを初めました。発達障害者はつまり社会においてはマイノリティなので、どうしても軋轢が多く宿命的にストレスを抱えやすく、当然の帰結として脳に身体にダメージを受けやすい。

こ れ は も う 仕 方 の な い こ と な ん で す 。

才能の代わりに支払う代償であり、それに全く気付けなかったからこそ私は30年以上、時期により大小の差はあれ常に「うつ状態」だったのです。

このハンデを前提として捉え、対策を施すことで問題の芽すらも出させないようにすればいいだけです。
脳機能の向上と保全には運動、特に手っ取り早いのはウエイトトレーニングと知りました。
アスペ的オタク気質とADHD的な集中力故か、当然のように食事と睡眠はもちろん、日中(勤務中)の行動も全て筋トレに全振りしたのでわりと効果は早く出て、ハーフのデッドリフトをMAX220キロくらいいけるようになったあたりでジムをやめました。
ジムで友達になった気のいいマッチョ達から「自重トレーニングもいいよ♪」と教わったのです。
自分の体重分くらいを持ち上げれる筋力があればいいと思い、週に1回20分の自重筋トレ(片足スクワット、倒立腕立て伏せ、懸垂、腕立て伏せ)にシフトしました。
元々の目的である脳機能の保全とストレスを吹き飛ばすための脳内物質は、私の場合は特に倒立腕立て伏せを超スローで3回やるだけでドバドバ出るので、極論を言えば週に1、2回倒立腕立て伏せ3回だけで良いのです。

これは余談ですが今、メインでやっている運動は、四股、蹲踞(閉じと開き)、プリエ(バレエの)、トランポリン、ヨーガ、散歩です。

筋トレは脳内物質ドバドバによるストレス対策ツールとして週一回、やるだけです。

【⑤モノを捨て、掃除をする】
これ、「鬱になってよかった〜」と心から思える事です。そう、視覚情報を減らすというのはうつ防止にもうつ克服にも非常に重要です。うつになったおかげで「目に映るモノが多いことによる気持ち悪さ」が肌で分かる身体になったので、モノを減らすことの習慣化がおそらく普通の人よりも容易だったんです。これは、まさに怪我の功名でした。

極端な話、広がってくしゃくしゃになってるバスタオル3枚を可能な限りコンパクトにキレイに揃えて積み上げただけで脳が喜ぶ声が聞こえるのです。丁寧に収納に収納し、視界から退場してもらうことで絶頂を迎えるのです。

包装なども可能な限り除きます。目に入る文字の数だけ脳が疲れるので。文字は自分が読みたいものだけを思う存分読めばいいのです。落ちている髪の毛やホコリも情報なのです。だから疲れるのです。できればないほうが良い。だから掃除をしたくなる。掃除しやすくするためにモノをとにかく減らす。

うつの人は多分、掃除が出来ません。これが本当に命に関わることなのです。散らかった部屋にはホコリが溜まりやすく、カビが生えやすいのです。カビの胞子は神経毒でそれが舞い散るホコリとともに人体に入りますます精神疾患が悪化するという負のスパイラルです。
現代日本における死因にしめる自殺のパーセンテージは大きく、自殺の原因はほぼほぼ何かしらの精神疾患です。

モノが多い。命に関わります。

思えばこのことを最初に私に知らしめたのも斎藤一人さんの音声でした。恩人ですね。

あの独特のゆっくりとした口調での「カビやホコリで、人は簡単に死ぬんだよ」

私もまだまだ完全に掃除の達人にはなれておらず、維持継続もまだまだですが。
話戻して、うつ症状からの離脱という意味では絶大な効果がありました。

【まとめます】

とにかく肉と魚を食べる。同時に糖質を控える。穀物はもちろん、野菜に含まれる糖質にも注意。(一時的には限りなくゼロを目指して良いと思います。砂糖に関しては問答無用でゼロでも身体には全く問題ありません。私の感覚からすると砂糖はアルコールやニコチンよりもよっぽど危険です) これで、情報収集が可能になりました。
   ↓
自分の身体を知り、医療は参考程度、身体の声を聞くことを大切に習慣化する。発達障害だったことに気付いたことはうつ離脱の決定打になりました。
   ↓
ガチで筋トレして筋肉をつけまくる。上で書き忘れましたが。短期間にガッツリ筋肉をつけようと思えば、かなり膨大な栄養についての知識が必然的に必要になります。ハッキリ言って大多数の医者よりもマッチョたちの方が栄養についての知識は上だと感じます。医学と栄養学は別個のもので、日本では栄養の知識はなくても医者にはなれるのです。しかし、世界のどこにいても栄養の知識なければマッチョにはなれません。なれてせいぜい細マッチョです。この、筋肉と栄養の知識は一生の財産になりますよ。「世の中の嘘」的なやつが筋肉でわかるようになれます(←そんな気がするだけかも)
栄養の知識と脳内分泌によるストレス打破の感覚を身に着けたら、ガチ筋トレはやめても良いと思います。
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筋トレと同時期にモノ(視覚情報)を減らして掃除!!うつだった人も筋トレ出来るようになったら掃除も出来るようになりますよ。掃除は一生やるのが良いと思います。最近知り、この身で感じ始めたことですが、「モノを磨く」という行為も脳内物質が出ます。

*思うに「筋トレをやろう」と思い、実際に筋トレを始めた瞬間、本当の意味でうつ状態からは離脱していると思います。ただそこは境界線で、いともたやすくうつに戻るライン上と考えるとよいかと。
故に筋トレと掃除はそこから強引に自分を釣り上げるクレーンのようなものです。筋トレと掃除で一気に安全地帯に行けることを考えたら、広義において筋トレと掃除により「うつ離脱」と言えるのかもしれませんね

*なんども言いますが、あくまで私の体験談です。科学的根拠などありませんのであしからず。でもよかったら試してみてね♥

*発達障害の有無を調べることは本気でおすすめします。人生が劇的に好転する可能性ありです。また、発達障害というものについての知識は必ず人生を豊かにします。その知識を知らないことで知らないうちに発達障害の人を傷つけているかもしれず、また、逆に発達障害の人に傷つけられているかもしれないのです。

*発達障害というものについては未だ諸説入り乱れています。先天性のもの?後天的なもの?そんなレベルでまだ何も分かっていないと捉えたほうが良いと思います。ただし、ビジネスとしてはすでに市場が広がって来ています。それに乗るか?私のようにソッポを向くかは自分が決めることですが、そういう状況に時代があるというのは知っておいて損はないかと思います。薬無しで私は「発達障害を才能」と言い切れるくらいになりました。そんな私にとっては「発達障害の薬」というのは「商品」でしかないとの認識です。

【側にうつな人がいる時は】

かなりの高確率で居場所がゴチャゴチャしていて、不潔な状態にあることもあるので、まず徹底的に掃除をしてあげて下さい。その上で、本人の了解を得て可能であればモノを減らすのを手伝ってあげて下さい。
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「どの肉、食いたい?」と質問し、食わせてあげて下さい。奢ってあげて下さい。交換条件としてその食事においては「炭水化物と砂糖は抜きね」とさらりと禁止して下さい。食べながら意図を伝えると良いかとです。肉の次は魚です。自分で思考する段階まで来たら、基本的に自分で行動する事ができると思います。他人がしてあげれることでとにかくまず必要なのはこの2点だと思います。

あとは私の友人の緑川くんのように鍛え上がった上腕二頭筋を見せて「心が病んでるんだって?だったら俺と一緒に市民体育館行って一緒にバーベル担ごうぜ✨✨」と笑顔で誘ってあげれば最高かと思います✨✨✨

うつで人は死にます。
簡単に死んでしまうことは自殺者数を見れば一目瞭然です。
うつから生還した人間の一人として、体験談を発信することには一定の意義があると感じ長々と書きました。
参考になればと思います。
質問あればコメント下さい。可能な限り詳しくお答えします。
大切な人にはできるだけ長生きしてほしいので。

じゃ、まったね〜

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