「自立・独立」を求め脇目もふらず走り続けた25歳男の軌跡

接骨院の開業権を持つ柔道整復師が開業する時、一般的には資格を取って10年の修行を積み、30歳を超えてから開業という流れ。しかし私は資格を取得し3年後の24歳で独立した。

業界の長老先生からは早すぎると言われ、お客さんや同期の先生からは若いのに偉いねと言われるが、私は早すぎる事も、偉いなんて事も無いと思ってる。

なぜ早く独立したかったのか、オープンした「ゆる湯る」のお客様にもよく聞かれるので、私を形成した25年間の出来事を書き起こし、この記事で私の人となりを知って貰えたら嬉しい。

柔道整復師とは?についてはこちらの記事で。【柔道整復師という国家資格者



家族編 〜寂しい思いが育てた自立心〜

私は車の整備士をしていた父と、その店で事務をしていた母との間に、待望の第一子として埼玉県で産まれた。

私が産まれてすぐ、同じく埼玉にあった祖父母の家を建て替え、三世帯住宅として暮らし始める。実家と年が同じというのは何となく誇らしいというか、嬉しい。愛着も湧いている。両親と祖父母からの人生最大のプレゼントのようだと勝手に思い込んでいる。(笑)

2年後には弟も産まれるのだが、産まれつき体に大きな痣があった。イメージ的に蒙古斑のもっと黒くて大きいの。健康に害がある訳ではなかったが、将来的にイジメにあっても可愛そうだと、両親は手術で痣を消す事を決める。

1ヶ月程の入院で、まだ幼かった弟と共に母親も病院に寝泊まりした。
その頃トラックの長距離運転手に転職していた父も日をまたぎ仕事をしていたので、家に祖父母と私しかいないという日が続いた。この時初めて幼いながらも長男の自分がしっかりしなきゃと責任感を覚えた記憶がある。

因みに弟の痣は消えたが大きな傷跡が残った。手術をしようがしまいが結局目立っていたが両親の心配をよそに友達も多く、元気に育ってくれて兄も嬉しい。

あとついでに思い出したからもう一つ。
弟が入院中に暇をしないようにと、お小遣いを使って初めてのプレゼントをした。父親にトイザらスへ連れて行ってもらい、お小遣いの範囲で買えるおもちゃだ。それを手渡した時の弟の嬉しそうな顔は今でも覚えていて、弟以上に自分が嬉しい気持ちになるという不思議な気分を味わった。
それが病院だった事もあり、弟を守らなきゃという気持ちもこの時初めて生まれた。

弟とのエピソードはまだまだ沢山あるのだが、微笑ましいものから流血沙汰の荒々しいものまで永遠あるので、今回はこれくらいにしておく。


弟の退院後はごく普通の家庭だったと思う。私が10歳になるまでは、、、。
小学4年生のクリスマスの日。弟と私はクリスマスプレゼントのテレビゲームで遊んでいた。何故かその日は母方の祖父母が家にきていて、何やら大人達がいつもと違う雰囲気だった。
そして本当に突然だった。ゲームをしている私達に母親が「じゃあねー、バイバイ」と手を振ってきたのだ。
「???。どっか出かけるの?」
良くわからないまま軽い気持ちで「バイバイ」と返した私達の元に母親が帰ってくる事は無かった。

その後、父親は相変わらず家にいない事ばかりで、祖母が母親代わりとなった。
母親がいなくなる前、やたらと母と父どっちが好きかを聞かれた事、母親が父と別の男の人といるのを見かけた事、両親が喧嘩をしている手紙を見つけてしまった事などあり、別れは突然だったが10歳の私は何となく状況が掴めていた。が、弟は何も理解出来ていなかった。母親が大好きだった弟は毎日泣いてた。だから私は自分の気持ちを押し殺した。自分がしっかりしなきゃ。常にモンモンとした日々を送っていた。

中学生になると私も思春期を迎える。家庭でのストレスと年頃の精神の不安定が重なり、IBS(過敏性腸症候群)になる。毎日お腹を下し、整腸剤がないと家を出れない。整腸剤への心的依存度も上がり、用法容量を超えて飲んでしまうこともあった。
別に反抗したかった訳ではないが、お腹を下す不安感から学校に行くのを避けた。すると、学校の先生からは不良扱いされ、毛嫌いの目を向けてくる人もいた。
「そんなんじゃない、いい子でいたい。でも体が学校に行くのを拒否してる。行きたいけど、行けない。」
そんな気持ちを理解してくれる人は誰もいなかった。今までで1番辛い時期だった


両親の離婚や思春期の苦しみ、当時は辛かったが今となってはいい経験をしたと思ってる。
人より早く自立心が芽生えた事で、仕事も早く独立できたし、IBSになる事で初めて腹痛やストレスで学校を休む人の気持ちが理解出来たし、仕事をしてからは湿布や薬に依存してしまう患者さんの気持ちも理解出来た。

思春期の私の気持ちを理解出来ないまでも、薬を貰いに病院へは欠かさず連れて行ってくれた祖母への感謝の気持ちも強くなった。
実家に帰ると祖母とお洒落なカフェに行ったり買い物に行くのだが、友達の多い祖母は出かけるたびに誰かに会う。祖母の友達が私を見て、「若い彼氏連れて良いわねえ。」と言った時の祖母の嬉しそうな顔を見るのも今では一つの楽しみだったりする。

今では全て笑い話になっているし、人の気持ちを理解出来るようになった全ての経験に感謝!と思えている。
身に起こる事全てが無駄じゃない。いつか必ず生きる時がくると思うと全てが楽しい。



スポーツ編 〜青春を放棄しのめり込んだ先で見えたもの〜

スポーツに関しても色んなエピソードがある。
まず初めに出会ったのがサッカー。持久走大会があるようなアクティブな幼稚園に通っていたのだが、週末に園庭で開かれるサッカークラブかあった。そこに入団した訳だが、人生で初めての挫折を経験する。

少し話が反れるが幼稚園の時に初恋をした。園で1番可愛かった女の子。その子も私の事が好きだった。親同士も仲が良く、一緒にディズニーランドに行ったりもした。5歳にして人生のピークを迎えた訳だ。(笑)

だが、初めての挫折はその彼女に関係してやってくる。初恋の相手もサッカークラブに入っていたのだが、問題はその子が滅茶苦茶にサッカーが上手かったこと。

ピッチの上でいまいちパッとしない私をよそに、彼女はバンバンゴールを決めた。リフティング競争をしても私の10倍はこなしていた。
好きな女の子に天と地程の差をつけられ、幼いながらに私は悟った。サッカーは向いてない。


サッカーで輝く事を諦めた私の家に、タイミングを見計らったかのように1枚のチラシが届く。
空手の道場がオープンします。
父親が何気なく見せたそのチラシに私は食いついた。直ぐにサッカーを辞め道場に入門する決意をした。

空手の練習はキツかった。皆んな同じスタート地点から始まり、道場内での競争が激しかったし、何より道場が週6日空いている。競争に勝ちたい初期メンバーは1日も欠かす事なく練習に通った。私もその一人だった。

小学校に上がると周りの友達は放課後毎日のように遊んでいたが、私には稽古があった。

毎日私を遊びに誘ってくれた友達がいたが、次第に私は放課後の遊びに誘われなくなった。でも気にしなかった。そんな事より稽古、稽古。勝ちたい、強くなりたい。サッカーでの挫折を味わっているからか、絶対に空手は誰にも負けなくなかった

そんな思いもあってか、大会に出れば私を含めた同じ道場生が上位を独占するようになった。

だがここでも問題が。大会に入賞出来るのは4人。この頃頭角を現したライバルが5人。1人だけ入賞者に名前を刻めないのである。これが道場内での競争をより熾烈にした。

お陰で私達5人はその頃の空手界隈では名前が通り、雑誌にも取り上げられるほどになっていた。本当に夢中になって、空手に取り組んだ。

しかし、中学に上がると状況が変わる。周りの4人は部活を始め空手を辞めてしまった。私だけが残り、部活にも入らず稽古を続けた。

中学生の大会でも結果を残し続けた私は他県からスポーツ推薦の話もきていたのだが、勉強で進学する事を決め、3年生の夏に一旦稽古を中断する事に。

この中断が私の緊張の糸を切った
10年に渡り他の事に目もくれず週6日で取り組んできた空手。一旦離れてみると今まで見えてなかった色んなものが見えるようになった。空手だけが世界じゃない。自分の知らない世界が山程ある。
そしてふと、「他の事もしてみたい。色んな経験をしたい」そんな気持ちなったのだった。


高校に進学すると、当初は復帰するはずだった道場を辞め、バドミントン部に所属した。何故バドミントンを選んだのかはよく覚えていないが、迷わずバドミントンを選んだ。

バドミントンでは思うような結果を残す事は出来なかったが、部長を務め部員30人以上をまとめたのはいい経験になった。

退部者が多い高校生の部活で、3年間1人も退部者を出さなかった(勿論練習が楽だったからではない。私が部長を務めたくらいだ、妥協を許さず同級生から怖がられる程厳しく練習を行った。(笑))のはバドミントン部だけだったらしくいい思い出にもなっている。


社会人になってからはほとんど運動をしていなかったが、K-1に出る事を夢見ていたのに、途中で辞めてしまった空手が少し心残りでキックボクシングを始めた。

仕事の合間にちょこちょこ練習しつつ、まずはアマチュアの大会に出てやろうと思っている。
キックの大会に出た後、自分がどんな感情を抱くのかもこれからの楽しみの一つである。



進学、勉強、仕事編 〜猪突猛進〜

高校は前述の通りスポーツ推薦ではなく、勉強で入った。公立の第一志望の進学校に入学し、平凡に3年生を迎える。

高校卒業後の進路を決める時、私は大学に行こうとは一ミリも思わなかった。なんとなく、で大学に行く理由が当時の自分には分からなかったからだ。

自分にはやりたい事があった。幼い頃からお世話になっている接骨院の先生の姿を見て、自分の腕だけでお店を開き、患者さんに感謝される姿に強く惹かれていた。自分もこうなりたい。

高校3年生の夏には、柔道整復師の国家資格を取り、自分の院を開業する事を決めた。

同級生が受験勉強に励む中、私は接骨院でバイトを始めた。どうせ開業するなら早く独立したかったので、1日でも早く修行を始めた方が良いと思ったからだ。

専門学校に通い始めても私の勢いは止まらなかった。朝から接骨院で修行し、夜になったら学校に行き授業を受ける。往復2時間の電車の中も必ず勉強。それでも足りないと思った私は整形外科でも働いたし、ハワイ大学での人体解剖の実習も受けた。(この年のホノルルマラソンの完走者ケアのスタッフも経験)

兎に角勉強漬けな3年間だったが、今思えば本当にがむしゃらに頑張って良かったと思う。


が、資格を取得してからも私の勉強は終わらない。
免許を取ってようやくスタートラインだよ。
師匠に言われた言葉を胸に、独立開業に向け勢いは止めない。接骨院と整形外科のWワークをこなしながら、週末は治療家セミナーに参加した。カイロプラクティック、テーピング、理学療法士の勉強会から民間療法まで多くを脳みそに詰め込むが如く勉強した。
そんな生活を3年送り、ふと思う。
「そろそろ独立しよう。」
24歳で決意した瞬間だった。


未だに直接伝えられていないが、Wワークを認めて下さった事、自ら勉強を率先して行う姿勢を見せてくれた師匠にはとても感謝している。

とても良いご縁があり、オープンする事が出来た今のサロンを大事にし、大きく成功する姿をどこかで師匠の耳に入れる事が1つの恩返しになるかなと思っている。

何故柔道整復師である私が銭湯併設のサロンをオープンしたか、についてはまた別の記事で書きたいなと思っています。



やりたい事が沢山ある...!! 〜視野は広く、我慢からの解放〜

長男だから、稽古があるから、部長だから、修行中だから、と今まで多くの我慢をしてきた。我慢をしなきゃいけないと思っていた。でも様々な本を読み、沢山の人の話を聞いているうちに我慢は必ずしも良いことでは無いと気付いた。

ゆる湯るをオープンし、やる事は沢山あるけれど、これからは我慢ではなくどうしたら全部出来るかを考え、やりたい事はやる、いろんな経験をし、人間として一回り大きくなろうと思う。

25歳になって、一つのことをガムシャラに突き進むだけじゃなく、回り道から学ぶ事もあると思えるようになったから。
...たんに遊びの為の言い訳か?と思ってしまう事もあるが(笑)

以下これからやりたい事

・ゆる湯るの多店舗展開、法人化
・Twitterフォロワー1万人超え
・note月間PV1万超え ※2019.08達成!
・キックボクシングでアマチュアの大会に出る
・北海道で1ヶ月酪農体験
・北欧で犬ぞりに乗りオーロラを見る
・竜神大吊橋でバンジージャンプ ※2019/10/09達成!
・スカイダイビング
・パラグライダー
・九州グルメ旅行
・宮古島でダイビング
・カナダでスノーボード
・イタリアで本場のピザを食べる



「自立.独立」を経て更なるステップアップを 〜目標は時に変わる〜

今までの人生のテーマは「自立.独立」だった。
就職後に親元を離れ自立し、ゆる湯るをオープンした事で独立した。(とはいえ今も多くの人に支えられているので感謝の気持ちは忘れちゃいけないと思っている)

これからの人生のテーマは「成長」にしたいと思う。
ゆる湯るを大きくしていくのは勿論、いろんな経験、体験を積む事で自分自身が人間的に大きく成長していきたいと思っている。

「成長」を実感出来た時、次に自分が何を目指していくのか、今から楽しみでしょうがない。

1日たりとも無駄にしない!と突っ走りたくなる自分を、回り道も大切だよという冷静な自分で抑えつつ、ちょうどいいバランスを保ちながら常に上を目指して生きていこうと思う。



〜まとめ〜

・埼玉県で産まれ、育つ
・2歳年下の弟がいる
・4歳でサッカーを始めるが挫折
・5歳で空手を始める
・10歳で両親が離婚
・15歳でIBSになる
・16歳で空手を辞め、バドミントンを始める
・18歳で接骨院に弟子入り
・19歳で整形外科にも務める
・20歳でハワイ大学にて人体解剖実習
ホノルルマラソンのレーススタッフを務める
・21歳で国家資格 柔道整復師取得
・24歳で接骨院、整形外科を退職し独立
ゆる湯るをオープン


最後まで読んでくれた人はほとんどいないだろう。(笑)
が、もし最後まで読んでくれた人がいたら全力で感謝の気持ちを伝える。

本当にありがとうございます


是非私の経験から得たボディケアの知識を、日々更新するnote記事にて読んで頂けたらなと思います。

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