香水、Pretenderで涙する時代を終わらせたい。昭和の恋愛観。セーラー服と機関銃。
ここ数年間、日本では、男性の未練を綴った失恋ソングが流行り続けている。
「君の運命の人は僕じゃない」
「でも見てよ今の僕を。クズになった僕を」
「君がもし捨て猫だったら」
弱者男性の胸の内をさらけ出すブームが横行しているが、私はこの流れに待ったをかけたい。現在、VTuber、韓国アイドルの完璧最強時代であることは確かだが、それと、一人一人が惨めに思うかどうかは全く別の問題であることは、前回のnoteで解説した。
今記事では、歌詞の側から、ナルシストとはまた違った角度で、昭和の時代にあった恋愛観の一つを解説した。昭和→令和のリバイバルを願う。
セーラー服と機関銃
できれば来生たかおverも聴いて欲しい。薬師丸ひろ子verと違って艶やかなな雰囲気は薄まるが、男が歌ってるだけあって、歌詞の意図はストレートに伝わると思う。
恋愛を通じて成長し、自分の元を去っていく女性に向けた男の気持ちの歌。
この歌詞は、おそらく、女子高生と2, 30代の大人の男性の物語だ。
二人は関係を交わすものの、卒業が訪れ、都内の大学へ進学するか、あるいは就職のために上京するということで、別れの時がやってくる。その直前の、彼女を想うが故の男の覚悟を表した歌詞だと私は考えている。
田舎と違ってたくさんの男性と知り合い、恋に落ち、数多くの経験を積んでいく。
しかし、それでいい。もし上京先での色恋沙汰に嫌気がさした時は、また俺のところに戻ってこい。男の器量の大きさが伺える歌詞だ。
彼女が捨て猫になって復縁することを願っているわけではない。純粋に彼女の将来を想っているが故の態度である。
もちろん、彼女が戻ってこないだろうことは、以下の小節を見てもわかる。
彼女と男は、不仲になったから別れる訳ではないことが伺える。
彼女の思春期故の未熟さと熱情が生み出した”イケナイ”恋愛に、彼女自身が卒業間近に最後向き合って、旅立つ決意をした。別れを決意した時の、女性の潔さは凄まじいものがある。
彼女の幼さと成長を見届けた男は、後を追いかけることなく、彼女と同様に、希望いっぱいのビジネスバッグ片手に、笑顔を見せて、仕事に向かうことだろう。
誰かの旅立ちを応援できる人は、自分自身の日々を応援することが出来るからだ。
いつか、彼女が誰かと契りを交わす時、あるいは空に旅立つ日、きっとこれまでの恋愛を思い返すだろう。その時だけ、かつて愛していた男の一人である私のことを、想い出すがいい。
こんな、肝っ玉の太い人に私は憧れる。そういうものにこそ、わたしはなりたいものである。
恋愛に限らず、一期一会の想い出を大切にしつつ、今の人生を必死に生きる姿勢が、
令和の時代に必要なことだと私は考えている。
今記事が読者の一助となれば幸いだ。
以上。