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自分で自分の親になる

何歳の頃からか「うちの親は友達の親とは違うようだ」と思うようになっていた。

成長するにつれ、知識が増えるにつれ、親が親として機能していないことに気づいた。

機能不全家族、という言葉を知り、我が家はまさにこれだったのだと知った。

父が「女に学問は不要」と言った意味を理解した。

こんなことを子供に理解されてしまっては、親としての威厳が保てなくなる。

私が知識をつけることに、父はどれほど恐怖していたのだろう。

知らんがな、と思う。


二十歳を過ぎてからも、まだ親的な存在を求めていた。

しかし親は頼りにならない。

成人した人間が赤の他人に「親になってください」と頼めるわけもない。

そこで考えに考え、ある日ふと

「自分で自分の親になればいいんじゃない?」

という考えに至った。

子供を産んでてもおかしくない年齢だったし子犬も4匹くらい育ててきてたし、人間の子育てができない道理はないんではないか、と。


自分の中を深く深く掘り下げていくと、子供の私がしくしく泣いていた。

3歳の私、5歳の私、7歳の私、9歳の私、14歳の私、17歳の私…

この子たちが癒されることなく、何年も何年も泣き続けていた。

私はなんで今までこの子たちを放っておいたのだろう。

申し訳なくて情けなくて、3歳の私を抱き上げて、一緒に泣いた。

「もう大丈夫だよ。私がいるよ。もう二度と、こんな想いはさせないからね。私が守るから」

とその子に話しかける。

何度も何度も。何日もかけて。

段々と、その子の表情が明るくなって、ニコニコと笑うようになった。

もう大丈夫だね、3歳の私はもう大丈夫みたい。

そんな感じで、傷ついている昔の自分に寄り添って、話を聞いて、一緒に泣いて、癒していった。

何年もかかった。

10代の頃の私は大体癒されてきたと思う。

20代前半の頃の私がすごく強情で、人生の大きな岐路に立った時のことを繰り返し後悔していて、「なんであの時こうしなかったんだろう」「あの時はもっとこうすべきだった」と自分を責めまくっているので、この子を癒すのにすごく時間がかかっているけど、「あの時のあなたにとってはそれが唯一で最良の選択だったんだよ」と言い続けている。

もう少し時間がかかるかもしれないけど、以前よりはだいぶ癒されてきていると思う。

自分で自分の親になって良かったなと思う。



とにかく、自分を守ること。

心身ともに守ること。

とことん自分に寄り添うこと。

過去の自分の決定を否定しないこと。

自分を卑下しないこと。

自分の気持ちに嘘をつかないこと。


最近、自分が嫌いだという意見をよく目にするけど、他の誰を嫌ってもいいから、自分のことだけは嫌いにならないであげてほしい。

一番自分の近くにいて、死ぬまで付き合わなきゃいけない相手は、他の誰でもなく自分なのです。


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