1年前の手紙〜卒業の季節に〜
目安:約2150文字
去年の今頃
境界域を生きる我々の
記録がわりに時々投稿している
SNSアカウントで
息子に手紙を書いた
読まれるアテのないInstagramだけど
……というわけで
約1年経って読み返していたら
いろいろ思うこともあったので
抜粋掲載してみることにしました
よろしかったお付き合いくださいませ
一年前の手紙
今のために過去を切り捨ててきたけど
グレーゾーンの子たちは生きづらさを抱えている
もちろん健常の子がラクに過ごしているわけじゃなくて
みんな辛さや努力があるんだけど
でも、それでも、そもそもスタート地点がゼロじゃない
努力の結果が「成長」として認められるようになるには
そもそもマイナスを埋めなければならない
自分の息子を通して、自分もそうだったと思い知った
グレーゾーンの子どもは
そのまま大人になっても結構生きづらい
頑張った
そう思えた時やっとゼロ地点にいる自分に気が付いた
頑張ってマイナスから±ゼロにやってきたのだ
それは確実に自分にとっては成長だけど
周囲はそう思ってくれない
ゼロだから
努力が足りない、やる気がない、怠けてる
そう言われてしまうから
努力は陰でやってゼロ地点を保つしかない
今思えば辛い時期はたくさんあった
でも今を生きるためにそれらは邪魔で
前を見るために切り捨ててきたから
何となく忘れていたけど
ひとり親として息子を育ててきて
息子の成長から教わったことはたくさんある
その中のひとつが「自分とはなにか」
頑張ってゼロにすることが
そんなに大切な事だろうか
疲れて泣くこともできなくなってまで
周囲と足並みをそろえることが
そんなに必要だろうか
そうして数年前
それまで切り捨ててきた過去を
再び紡いでみることにした
大切なこと
過去をつなぎ合わせていると
忘れていた物事はもちろん
感情もいろいろ思い出してくる
自分自身の細かいことは端折るけど
頑張って努力して無理までして
やっと周囲と足並みをそろえていたら
それ以上を積み上げられないじゃないか
なんて思って
同じ方向じゃなくていいんだと思った
自分の向ける方向へ正しい努力ができたら
それでいいんだ、と
そのために必要な事というのは結局
「自分を正しく知ること」なんです
自分と向き合っている間は辛いですけど
そこから価値観とか自分軸とか
自分の中に潜んでいたものが
発掘されてきて
自分らしさが自覚できるのだと思う
足並みをそろえるために苦しむのはやめた
つまり
いちばん「ゼロ」の幻覚に囚われていたのは
過去の自分自身だった
自分のスタートラインは自分だけのものだ
それに気づくのは遅い方だったかもしれないけど
気付くことができてよかった
息子にとってはきっと
その時期が早くやってき過ぎて
学校に行けなくなったりしたのかもしれない
と思ったら
なんとなくいろんな事が一気に腑に落ちた
「自分はどうありたいのか
何が好きで何が苦手で
何をしている自分が好きなのか
何を基準に日々を選択しているのか」
それらを言葉で明確に自覚するには
まだ小さすぎたから時間はかかったけど
そんな息子も春から高校3年生
希望進路も決まっていて
それは勿論、息子が自分で決定した
あとはそこへ向かって
今できる事を積み上げるだけ
中3からの目まぐるしい変化や
遅れを取り戻すための急激な吸収は
確かに大変なものだったはずだけど
きっと本人にとっては苦労ではなかったのだと思う
未来に希望を持って
正しい努力ができるというのは
本当にありがたいことなんだろう
今辛い思いをしているこどもたちにも
自分を正しく知って正しく努力できる
あなただけの未来が訪れますように
そして、どんな選択をしても
それを個として尊重してくれる世の中になることを
心から願っています
最後まで読んでいただきありがとうございます!