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その青に導かれて

なにかが終わった瞬間にまたなにかが始まる。それは紛れもなく事実なのだろう。とはいえ、そんな簡単に割り切れないおわりがこの世にはたくさん存在することも事実で、はじめたくても簡単にはじめられないこともまた事実なのだろう。

おわりを認められない男性と終わりを潔く受け入れた女性がそこにはいた。

「終わったことを前向きに捉えてばかりの人いるじゃん。そういう人間を見るたびに薄っぺらいと思ってしまうの」
「え、すぐに切り替えられて羨ましいと思うけどね」
「たしかに切り替えの早さは重要だよ。でもさ、おわりははじまりじゃなくて、ただのおわりじゃん。そこから目を背けるのは良くないと思うし、終わったことからよかった点と反省点をちゃんと知る必要があるよね。おわりから何も学べなきゃ、また同じ過ちを犯してしまうかもしれないから、ときには悲しみの淵に立って、ちゃんと悲しみを味わうの。悲しみから逃げてばかりの人よりも、悲しみとちゃんと立ち向かっている人の方が強いと思うんだ」

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彼女は一言で言えば、素朴な女の子だった。人によって態度を変えない。一貫していると言えばそうだし、遠慮がないと言えばそうとも言える。だが、それ故に彼女を煙たがる人は多かった。人間関係のトラブルに巻き込まれ、職を転々とする日々。言いたいことを言ってるだけ。それは紛れもなく事実だけれども、「自分を持つ」とは嫌われる危険性が高くなることを示唆し、誰もが嫌われないために、自分を押し殺していることも事実だ。

自分を持つ彼女を疎ましく思う。それは憧れであり、自分にはできないという絶望なんだろう。だから、彼女は美しくて醜い。いかにも人間臭い彼女の佇まいに簡単に心を奪われたのがこの僕だ。

彼女はよく河川敷でタバコを吸っていた。川の青に導かれて、生い茂る緑のように風に吹かれながらタバコを吸う姿はとても絵になる。河川敷でよく風景画を描いていた僕に、「これって風景画?よく描けてるねえ、ほんと感心する」といきなり声をかけてきたのが彼女だった。無口で温厚な僕にとって、誰かから声を掛けられることは、救いであり、嫌われるかもしれないという焦りでもあった。

そこからよく2人で河川敷に行った。彼女は河川敷に流れる川をぼーっと見つめ、僕はその姿と風景をスケッチブックに描き溜める。彼女は絵を描かれるときはいつだって照れくさそうだった。その姿を見るのが好きで、僕は彼女の絵ばかり描いていた。

いつの間にか恋に落ち、いつの間にか同じ屋根の下で暮らすようになっていた。彼女の提案によって、僕は絵を販売することになった。大盛況も大盛況。瞬く間に絵が売れ、僕たちの生活にもたくさんの笑顔が舞い降りた。

「初めて君の絵を見たときから絶対売れるって思ってたよ。やっぱり私の目に狂いはないね、えっへん」
「いや、絵が売れたのは君のおかげだよ。本当にありがとう」

絵が売れたことに嬉しくなった僕は、彼女のように自分を表現したいと思うようになった。もちろん嫌われるリスクもあるけれども、彼女が認めてくれた才能があるから大丈夫と考えている自分もいた。僕を変えたのは紛れもなく彼女で、僕が変えられなかったのが彼女である。

彼女の承諾もあり、僕は自分の感情を素直に表現するようになった。パステルベースの絵から黒が基調になった。人の本性は醜くて美しい。でも、醜さの中にある美しさを発見するのは難しい。僕の絵はどんどん醜くなった。きっと万人受けはしないし、僕の絵の中にある美しさを見出せる人間もいないかもしれない。

「わぁ、人間の汚い部分が綺麗に表現されている悍ましい絵だね。醜さの中にある美しさがとっても好きだよ」

彼女の言葉が安心に繋がり、僕は個展に「人の本性」を描いた悍ましい絵を出展した。開店とともにたちまち人は集まり、僕の絵を見た瞬間に血の気が引いていく音がした。叫び声を上げる者も現れ、2日目からは誰も来なくなった。それでも描き続けた。それと同時にあれだけたくさん売れていた絵がまるで嘘みたいにまったく売れなくなった。

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絵が売れなくなって、徐々に生活の資金もなくなり、それに伴って彼女のとの喧嘩も増えた。自分の色を出したくなったその代償だろうか。恋人が別れる原因のひとつして、お金がよく挙げられるが、僕たちにも典型的なそれが当てはまった。絵が売れない。売れる絵を描くのは簡単かもしれない。でも、それ以上に表現したい色がある。両方を両立させれば、恋も絵もうまくいったのかもしれない。でも、それができなかったのが僕で、それに痺れを切らしたのが彼女だった。

彼女のように、ありのままに生きたかった。ありのままを生きることは味方が減ると言っても差し支えない。それでも自分を表現することに拘りたかった。その結果、絵は売れなくなり、愛する人もいなくなった。彼女に好かれたいという思い。絵を売りたいという思い。その両方に嘘はなかったはずなのに、結果がそれを許してくれなかった。

彼女がいなくなった後の生活は最悪だった。食事はカップ麺ばかり。部屋の掃除をすることもなければ、起きた瞬間にすぐに河川敷に絵を描きに行ってしまう。でも問題は自分を出すか、出さないかである。悩みに悩んだ末に出た答えが「生活のために絵を描く」だった。

ポケットの中にあった夢はもうとっくに捨てた。いまやポケットを膨らませているのはタバコとライターになっている。苛立ちが耐えない現状を、寂しさがなくならない実状を紛らせてくれたのが、彼女が吸っていたハイライトだった。

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僕はろくでもない男なのかもしれない。おわりを簡単にはじまりに変えられないその事実が胸をギュッと締め付ける。自分を表現することをやめ、また昔の自分に戻った。すると、また絵が売れるようになり、個展も開催できるようになった。

個展の中でひとつだけ彼女を描いた絵を出展した。

タイトルは「敬愛する彼女に祈りを込めて」だ。

性懲りもなく悍ましい絵を描いた。その絵が展示されている場所だけ人が集まらず、自分を押し殺して描いた絵だけが注目を浴びる。個展は連日賑わい、自分を押し殺した絵も瞬く間に売れていった。

そして、個展の開催から3日が経ったときに、お店のオーナーから電話が掛かってきた。

「『敬愛する彼女に祈りを込めて』が売れました!」
「え、購入者の名前ってわかりますか?」
「それが名前は伏せておいてくださいって言われて」
「そうですか。ありがとうございます」

いつものように河川敷で絵を描き続ける。君だけがいない元の生活に戻った。個展を開催しながら、自分を押し殺しながら、みんなが好むような絵を描き続けた。生活は潤い、絵は賞賛を浴びたけれども、何かが足りない。

ある日、一通の手紙が僕の家に届いた。

宛名に記入されている名前は彼女だった。驚きながらも、羊毛紙に包まれた手紙の便箋を夢中で開ける。

「やっぱり君の描いた絵が好きだよ」

河川敷の青に導かれて、生い茂る緑のように風に吹かれながらまるで彼女のようにハイライトを吸ってみた。僕はやっぱり彼女にようにはなれなかった。

おわりはおわり。それは紛れもなく事実である。そこからきっとなにかが始まり、また呆気なく終わっていく。あいも変わらずその連続を誰もが生きている。でも、おわりからはじまる何かに期待できない自分がまだそこにいた。


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