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亡くなったおじいちゃんの夢を見た

昨日、おじいちゃんと一緒に過ごす夢を見た。子どもの頃の夢だ。若かりし頃のおじいちゃんに引き連れられて、お菓子を一緒に選んでいる。おじいちゃんの夢を見た理由は、5年前の8月におじいちゃんが亡くなったからだと思う。8月になるたびに、亡くなったおじいちゃんの夢を見る。

おじいちゃんはいつも僕を褒めてくれた。そして、僕のやりたいことを全力で応援してくれた。はじめて恋人ができたときもおじいちゃんに報告したし、お別れしたときもちゃっかり報告した。大学を卒業したときは「仕事は大変だけど、いつか努力が報われたときの喜びと出会ってみろ」と僕を鼓舞してくれた。いつも自分のことのように喜んで、自分のことのように悲しんでくれるそんなおじいちゃんが大好きだった。

家族からよく僕の性格はおじいちゃんに似ていると言われる機会がある。顔は全然似てないけど、肌や髪質はおじいちゃんと同じだし、大好きなおじいちゃんに似ている部分が多いだけで、誇らしい気持ちになるし、嬉しく思う。

僕は昔からずっとおじちゃんっ子で、週末になるたびに母に「おじいちゃんの家に遊びに行きたい」と駄々を込めていたそうだ。土曜日の昼におじいちゃんの家に行って1泊する。帰り道はいつもおじいちゃんの車の助手席に乗って帰る。僕の家には車がなかったからおじいちゃんの車に乗って家に帰るあの時間がとても好きだった。

おじいちゃんはとても優しかった。

おじいちゃんは家に遊びに行くたびに「お菓子買いに行くか」と僕の手を引いて、近所のスーパーに連れて行ってくれた。家族で買い物をするときは、1つしかお菓子を買ってもらえない。1つを選ぶために、悩みに悩んで買ってもらったお菓子。帰り道にやっぱり別のお菓子がいいと駄々をこねることも多かった。子どもの頃はお金の価値なんてわからない。親は好きなものを買えるのに、子どもは1つしか買ってもらえないなんておかしいとずっと思っていた。

でも、おじいちゃんはいつもお菓子を3つも買ってくれた。お菓子を選ぶ時間はとても楽しくて、幸福を感じる。その瞬間を3回も味わえるなんて最高だ。しかもちょっと高いお菓子を買っても怒られないし、お菓子を嬉しそうに選ぶ僕を見て微笑んでいるおじいちゃんが大好きだった。

ある日、おじいちゃんに「お母さんはお菓子を1つしか買ってくれないからケチだ」と愚痴ったことがある。すると、おじいちゃんが「いまはお母さんの気持ちをわからなくてもいつか大人になったらわかるよ」と言った。その言葉に納得がいかなくて、「もういい」とおじいちゃんについ悪態をつく。悪態をついたにも関わらず、一切怒ることなく、いつもと変わらず接してくれた。すぐに仲直りをして、その日はおじいちゃんと一緒にお風呂に入った。

おじいちゃんの家に頻繁に遊びに行かなくなったのは、中学生になったあたりだ。部活動が忙しくなって、休日も部活動に明け暮れる。部活が休みの休日は友人と遊んでばかりいたし、おじいちゃんに電話を掛ける機会は月に1回程度になった。それでも家に遊びに行くたびに、満面の笑みでもてなしてくれる。お菓子を買いに行くことはなくなったけど、おじいちゃんと会話をするあの時間は楽しすぎていまでも鮮明に覚えている。

高校生になって、大学生になった頃には、おじいちゃんともうほとんど会わなくなった。そして、社会人になって数年後に叔母から「おじいちゃんが手術入院することになりました」と1通のラインが届いた。なぜおじいちゃんに定期的に会わなかったんだろうと後悔した。そういえば母を癌で亡くしたときも、辛そうな母を見るのが嫌だと言って、あまり顔を見に行かなくて、後悔してしまった。大切な人はいなくなってからその尊さを知る。

同じ轍を踏むわけにはいかない。まだ間に合う。そう決心したその日からおじいちゃんと連絡を取るようになった。仕事の合間にお見舞いにも行って、おじいちゃんに会うたびに「おお、リョウタよく来たな」と頭を撫でてくれた。本当はすごく照れ臭かったけど、おじいちゃんといつまで会えるかわからないからおじいちゃんの愛情をそのまま受け入れた。

おじいちゃんの容体が少しずつ悪くなっていく。子どもの頃に一緒にお風呂に入っていたときとは考えられないほどやせ細っている。おじいちゃんがやせ細っていく姿を見るたびに、涙が出そうになってしまう。

病室から見える揺れるひまわり。立ち並ぶ鉄塔。どこに向かうかわからない入道雲。日差しは相変わらず眩しい。大きな声で求愛活動を行う蝉はやっぱりうるさい。でも、おじいちゃんと話をするあの時間はとても幸せだった。

「おじいちゃんはいつまでたってもずっとリョウタのおじいちゃんや。それはどんなことがあっても変わらないんよ」とおじいちゃんが言った。

本当の味方は相手が正義か悪かなんて関係なく、どんなことがあっても味方であり続ける。おじいちゃんは僕はどんな姿であっても味方でいてくれるんだろう。それって無償の愛だ。僕は無償の愛をおじいちゃんからずっと貰いっ放しなのに、おじいちゃんに何も返せていない。その事実がただただ悔しかった。

おじいちゃんの言葉に泣きそうになった。泣くのを必死にこらえ、「ありがとう。本当におじいちゃんの孫で良かったよ」と伝えると、「そうかぁ。じゃあもういつ死んでも後悔ないなぁ」と満面の笑みでおじいちゃんは言った。本当はおじいちゃんの前で泣けば良かった。でも、おじいちゃんを困らせるわけにはいかない。だから、帰り道のバスの中で、1人でこっそりと声を殺しながら泣いた。

いよいよおじいちゃんの余命が医師から宣告された。とてもじゃないけど受け入れられない。余命を聞いた日は、あまりの衝撃に涙すら出なかった。3日ほど経ってから仕事中にも関わらず泣いてしまった。同僚と上司に心配されたけど、「なんにもないです」と強がることでその場をやり過ごす。

お見舞いの頻度を増やす。会うたびにどんどんできることが少なくなっていくおじいちゃん。蝉が泣き喚き、大きな雲が空を覆っていた8月のある日、おじいちゃんは僕の手を小さくなった手でずっと握りしめていた。なぜ僕の手を握りめていたのかはわからない。でも。2日後におじいちゃんが亡くなって、僕の手をずっと握りしめていたその理由がわかった。

実に早いもので、2021年はもう8月になった。おじいちゃんが亡くなって5回目の8月だ。相変わらず蝉はうるさいし、暑さは例年に増してどんどん加速していく。クーラーがなければ生活はできないし、歩いているだけで汗をかいてしまう。今年も花火大会は中止になったし、海に行く予定もいまのところはない。夏なんて早く終わればいいとさえ思ってしまう。でも、バスに乗って汗をかきながらおじいちゃんに会いに行ったあの夏の日は忘れたくない。

おじいちゃんとの思い出はまだまだたくさんある。ここに載せた思い出はほんの10分の1にも満たない。それにここに書いたところで、思い出の密度は半分も伝わらないだろう。だから、胸の内にそっと秘めておく。おじいちゃんとの思い出は僕の中でずっと生きている。その事実が変わらないのであればそれでいい。

昨日、おじいちゃんと一緒に過ごす夢を見た。子どもの頃の夢だ。若かりし頃のおじいちゃんに引き連れられて、お菓子を一緒に選ぶあのシーンだ。

「お母さんアイスが食べたい」と駄駄を捏ねる子ども。人目を憚らずそれを拒否するお母さん。子どもが欲しいのはアイスではなく、きっと愛情なんだろう。そして、子どもに我慢を教えるのも親の愛情だ。

おじいちゃん、いまならわかるんだ。母がお菓子を1つしか買ってくれなかったあの理由。我慢を知って欲しかったってことでしょ?おじいちゃんがいなくなったいま、答え合わせはもうできない。

でも、きっと僕の答えは正しいと思う。だっておじいちゃんの孫だし、おじいちゃんに似てるってよく言われるしさ。それに大人になったからその程度のことならもうわかるようになったんだ。

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