個人のキャパの限界とチームの可能性
夏の深夜3時。クライアントから指示された原稿修正に追われ、体力も気力も限界に近づいていた。
「やべえ。もう無理、こんな働き方してたらいつか絶対ぶっ倒れるわ」
すっかり客足は遠のき、静まり返った深夜のマクドナルドは、キーボードのタイピング音が、いつもより大きな音となって響き渡る。
ブラックコーヒーを飲んで、頭を掻きむしりながら、「まだいけんだろ」って自分に発破をかける。負けそうになりながらも、なんとか気力を振り絞って、PCと向き合う日々。
充電がなくなりそうなPCに、すぐにでも尽きてしまいそうな体力。願いとは裏腹に迫り来る納期。もはや限界だった。
「ああもう全部やめたい」という言葉が頭を過ぎる。でもやめたらおしまいだから、やめるという選択肢は頭にない。
今回は僕がフリーランスとして働いてみて、個人的に感じたことを書いていく。
僕は去年の9月からフリーランスとして活動している。基本的には1人で黙々と仕事をしていることが多いのだけど、孤独とは忍耐だということをただただ思い知らされている。
現在自分のメディアを運営しながら、ライター業をやったり、企業の広報をやらせてもらっている。
仕事を依頼していただいた企業と契約書を交わすだけで、雇われているわけでもない。案件があれば仕事をさせていただく。そんな働き方をしているのだ。
自分が動かなければ収入が減ってしまう。安定した収入はないから、正直なところ心臓にも悪い。
収入が減るのは困ってしまうから、僕は自分が動かないと回らない自転車操業を今日も今日とて繰り返す日々。
最近は仕事に追われまくってて、寝る暇を惜しんで、原稿を書くことも多い。取材にも行ってるし、体があと1つあればなぁと思うことがめちゃくちゃある。
「生きているうちにやりたいこと全部はやれない。」
「なんでもできるけど全部はやらない」というエッセンシャル思考的な考えが今まさに必要なのかもしれない。
エッセンシャル思考とは、一点集中型で不必要なものを取り除いて、1つの物事に集中して取り組む思考のことだ。
僕は今まさに取捨選択の時期に来ているんだろうなという感じ。
個人のキャパなんてたかがしれてんだよ。そんなことは自分が1番痛感してる。でもさ今このタイミングで痛感してよかったとも思っているから僕の経験は無駄なんかじゃなかったと思うんだよ。
おそらくこのままでは体がもたない。
今の働き方は体力があるからできることで、歳を積み重ねると体力も気力も落ちてしまうから、今の生活はとてもじゃないけど、続けらんない。想像以上にキツい。無理だ。
追われる締め切りに、書かなきゃならないという使命感。どれだけしんどくても、書くことをやめることができない。まぁやめるつもりもないんだけどね。
体がだるくて頭が痛いと思った時も、決して体温計で熱を計らない。熱が出たと言う事実を知ってしまうと余計にしんどくなってしまうからだ。
だから頭痛薬を飲んで、3時間ぐらい仮眠を取り、しんどいことを無理矢理にでも忘れて、また原稿と向き合う。
フリーランスで下請けだけをしている以上は突き抜けることができない。
こんな言葉を結果を残しているフリーランスの先輩から聞いた。
仕事をこなすだけでなく、振ってもらった仕事を他の誰かに振る。振った仕事の進捗確認や対応などのディレクション業務をした方が大きく稼ぐことができるらしい。
確かにそうだ。手足を動かし続ける人よりも、頭を使って仕事を振っている人の方が大きく稼いでることが多い。
ディレクション側に回ることが大きく稼ぐ第一歩。いつしか僕もディレクションする側に回るのかな。でもまあ文章を書き続けたいって気持ちはあるから、同時並行していけたらベストだ。
仕事を誰かに振る人。今後仕事の依頼が増えてきて、自分では1人では回せないようになったら、仕事を一緒にしたい人に振っていく。
個人でできることには限界があることを知ったから、チームで動いていくことの可能性を知った。
今後はフリーランスのチームが増えていく。個人が個人と組み、仕事をしていく時代。僕もその波に乗ろうと思っていて、少しずつその準備に向けて打ち合わせをしている。
チームで勝つ。これがこれから僕がやっていくこと。
できないことはやらない。でもできることは全力でやっていく。
誰かの弱みを誰かが補う。仕事の幅を広げていければ、できることが増えていく
そろそろ次のフェーズへ移っていかないとだね。
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