自分を肯定しながら生きるために

自分を肯定するために生きてきたのに、ある日全てがわからなくなった。きっかけはよくわからない。突然全てがわからなくなってしまった。

朝目が覚めた時に見る天井。布団に包まれている自分自身。なぜかまた夢の中に戻りたくなった。夢の中では無敵な自分自身。現実とのギャップにいつの間にか耐えられなくなっていた。

狭すぎるベッドの中が自分の世界だと思い込みたくて。でも現実はそんなに甘くなかったし、ベッドの中だけじゃ狭すぎるということもまた事実であった。

無理矢理起きたくない体を起こし、シャワーを浴び、嫌なことを全て洗い流す1日の始まり。洗い流すことで全てリセットして始まる日もあれば、うまくいかない日もある。

ただぼーっとしているだけでも生きることはできる。でも何かをやらなくちゃ、していなくちゃ生ってやつを実感することはできないと勝手に思っていた。

生きることを肯定したくて、自分に問いを繰り返していたはずが、自分が何をしたいのかが、わからなくなってしまうときがある。

僕は「落ちて落ちて、また落ちて、そこからまた這い上がって」ということを27年間ずっと繰り返しているという自負がある。そんな自負なんていらないし、誇れるものでもないけど、落ちて這い上がって、今の自分がいるからそんな自分を肯定していたい。

前向きなときは物事がスムーズに運ぶから何も考える必要がない。でも後ろ向きになってしまったときは自分が何をやってもダメな気がしてしまう。

前向きになれないときや楽しくなくても無理矢理笑ってみる。口角を無理矢理上げると作り笑顔のはい、完成。

すると心の底から笑えなくなって、まるで心が空っぽの道化師のようになる。感情を押し殺すことで、生きる意味を失いそうになって、自分に嫌気が差す。

生きる意味なんてもはや必要ないし、自分で作り出せば良いんだけど、なぜか生きる意味をただ求めていた。

前向きに生きることは素晴らしいこと。でも「前向きに生きて」って言われてもそれを素直に頷くことができない人だっている。僕も前向きに生きろと言われて、それですんなり「はいそうですね」って素直に受け止めることができる人間じゃなかったから気持ちがよくわかる。

でも僕は誰かの声によって生かされてきた。そして、文章を見て、僕は救われてきた。だから僕は文章を書くことを選んだ。ネガティブな人たちに寄り添うために僕は文章を書いている。

辛い思いをしてしまうならいっそのこと前向きになんてならなくて良い。前向きになって、何もないことに気付き、さらに辛い自分と出会ってしまうことだってある。

下降気味のテンションがさらにまた下へと下がる瞬間、それが絶望の始まりだから落ちる時はとことん落ちてしまえば良い。

どん底まで落ちてしまうとどうせ前を向くしかなくなってしまうから。前を向かずに落ち続けることなんてどうせできやしないから。

落ちる自分を自分のためにどうか肯定してあげてほしい。自分の身を守る最終意思決定機関は自分に委ねてしまえばいい。

誰から何を言われようが、自分のことを最優先にしてあげてね。辛い時は落ちて、そしてまた這い上がればそれでいいから。自分のことを肯定してあげようね。

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