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11月が消えた

11月が消えた。

2021年11月、20代最後の11月が跡形もなく消えた。11月が消えた瞬間に、人生の難しさを思い知らされた。それと同時に消えたことにも意味があると自分に言い聞かせる自分がいた。

11月の大半を病床で過ごしている。ありきたりな日常は奪われ、病床での日常がありきたりな日常と化した。悔やまれると言えばそれは紛れもなく事実だけれど、「うまくいかない日があることも人生だよ」と頭の中で囁く自分もいる。

先ほど診察を終え、11月中に退院できない事実がわかった。このまま眼圧が下がらなければ再手術と言われていたため、毎日が恐怖だった。寝たくてもうまく眠れない。3時間おきに目が覚める毎日を過ごし、今日の診察で手術を回避できた事実に安堵した。

診察の合間に先生が僕にこんな話をした。

「20代の1ヶ月って物凄く重要やから焦る気持ちはわかる。他の人が仕事を頑張ったり、遊んだりする中、サトウさんは病気とちゃんと向き合ってるから本当に偉いと思う。当事者じゃないから苦しみはわからないけど、相談相手にはなれると思うからしんどくなったらいつでも僕の所に来て吐き出してください」

ああ、僕がいま1番ほしい言葉を全部くれた。20代の1ヶ月は貴重だ。キャリアアップ、恋愛、友との遊び。それら全てを犠牲にして、いま病室の中にいる。溢れ落ちそうになる涙をグッと堪え、先生の目をずっと見ながら何も答えず。強く頷いていた。

診察が終わり、病室に戻って声を押し殺しながら泣いた。先生の言葉にどれほど救われただろうか。そして、先生の言葉にどれほど自分の情けなさが垣間見えただろうか。もし病室が個室だったら人目を気にせずに、大泣きしていたにちがいない。それをさせなかったのは恥ずかしさがあったためである。自分の中の小さなプライドを守るために、誰にもバレないようにひっそりと泣いた。自分を支えている尊厳を守り切った。そして、涙と共に不安は少しだけなくなった。それから少し時間を空けて、お腹がぐーっと鳴った。

たかが11月、されど11月。20代最後の11月の大半を病院で過ごした。退院は早くて12月の1週目になりそうだけれど、確定事項ではないため、まだ安堵はできない。これがのちの人生にどんな影響を及ぼすかはわからない。与えられた運命に絶望するか。それとも受け入れて武器にするかは自分次第。だったら後者を選ぶ道を僕は選びたい。

「どうせ」という言葉が好きだ。Mr.Childrenの“しるし”の歌詞にこんな一小節がある。

共に生きれない日が来たって、どうせ愛してしまうと思うんだ

なんて美しい「どうせ」なんだろうか。これ以上の愛の言葉に、僕はまだ出会えていない。この楽曲と出会ったのは15歳のときだ。『14才の母』の主題歌であるこの楽曲はドラマと共に自身の胸の中に強く刻み込まれている。初めて“しるし”に出会ったあの日から僕の中で「どうせ」は前向きな言葉になった。

前向きにも後ろ向きにも捉えられる「どうせ」という言葉。一般的には諦めの言葉として扱われるが、諦めた先にある希望を見据えている言葉でもあるのだ。

だから、あえて言いたい。「どうせ」という言葉にありったけの希望を乗せて言わせてくれ。

「この先、たくさんの試練が待っていようと難病はどうせ良くなる」

どうせ良くなるのであれば、良くなる道中を一喜一憂しながら楽しんでいたい。失った時間にもちゃんと意味がある。いや、意味を持たせてみせる。難病なんかに負けたくない。負けてたまるか。

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