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ある日、帰る場所がなくなった

2019年の夏、僕には帰る実家がなくなった。1人で住んでいた父が引越しをしてしまったから、もう2度と実家には帰れないのだ。帰る場所がないというのはなんとも寂しいもので、小さい頃に一家団欒だった日々を懐かしく思う。

22年間住んだ実家。母や父、姉とくだらない会話で盛り上がったことは数知れず。家の門限を過ぎて押入れに閉じ込められたこともあったっけな。ボロい家だから雨が強く降れば、雨漏りをしてした。雨漏りのたびにバケツを持ってきて、雨をバケツで受けて、順番交代で水を捨てていた。くだらないかもしれないけど、そんな些細なことがとても幸せだった。「家族と暮らす」を実感できていた。

屋根裏部屋で、深夜遅くまでゲームをして、それがバレた時はこっぴどく怒られた。ゲーム機を壊されそうになった時もあったし、1週間ぐらい取り上げられて、「返してください」って泣きながら懇願したこともある。なんだか懐かしい。でも、もうあの日々には戻れない。

お風呂がないから毎日銭湯に通う生活。家のお風呂よりもはるかに広いから、のびのびと足を伸ばせるし、リラックスもできる。銭湯帰りにたまに食べさせてもらうアイスがたまらなく好きだった。ただ家に帰る時間が遅くなった場合は、その日はお風呂に入れない。お風呂に入れなかったときは、朝の6時から開いている銭湯が近所にあるから、朝風呂をしてから、学校に通っていた。もしくは事情を知っている友人や、当時の彼女の家でお風呂を入らせてもらったことも何回もあるし、今となっては感謝しかない。

小さい頃、かなり広いと思っていた実家。でも大きくなって、いろんな家を知って、自分の家が大きくない事実を知った。家の大小なんて気にならない。だって、家族で暮らす実感がそこにはあったのだから。

僕の家は少し複雑な家庭で、姉と僕は通った中学が違う。僕が中学に行く前に父の仕事が事情で、おばあちゃんの家の近くに引っ越すはずだった姉は僕の1つ上。中学を途中で転校するのは友達作りも大変だから、先に姉だけおばあちゃんの家に住ませてもらって、1年後に引越しをするという計画だった。

でも、僕たち家族は引っ越さなかった。姉とは違う中学を僕は通うことになって、離れ離れの生活。僕はお姉ちゃんっ子だったから、最初は少しの戸惑いを感じていた。だんだんと姉がいないことに慣れ、やがて気にならなくなる。人間なんて慣れてしまえばなんとでもなるんだなと、初めて絶望にも似た諦めという感情を抱いた。

家族旅行と呼べる旅行は1度しかしたことがない。22年間で家族旅行をしたのはたった1回。しかも家族全員が、揃ったわけでもない。姉がなぜか来なかった。その理由はとうに忘れてしまったけれども、家族が全員揃わなかったというのは事実。

僕の中では家族旅行をしたことにはカウントできない。だから僕は家族旅行に強い憧れがある。だってもう2度と実の親と家族旅行ができない。それは僕の母は僕が21歳の頃に癌で亡くなってしまったからである。僕の家族旅行をするという願いは絶対に叶わない。自分が家族を持ったときは、必ず家族旅行に行くと心に決めている。自分ができなかった後悔を自分の家族にはさせてあげたいと強く思うから実現してみせる。

友人の旅行の話やどこかに連れて行ってもらった話を聞くたびに、羨ましいと思ってしまう。でも僕の家庭にはお金がなかったからほとんどお出かけもしたことがない。 動物園や遊園地、水族館、子どもが行けば楽しいと思えるところに行ったことがない。家の近くで1人で遊ぶか、予定がない友達と一緒に遊ぶということを幼少期はずっとしていた。

不幸だったかと問われるとそういうわけではない。僕はとても幸せ者だった。お金はないけど、両親からたくさんの愛情を注いでもらっていたのだから。お金がなくても幸せにはなれる。でもお金があった方が、様々な選択肢が増えるよなって子どもながらそう思った。笑いの絶えない家族だった。いつも誰かがバカなことをして、それを見るたびに、楽しいなって思っていた。こんな幸せな時間がいつまでも続けばいいと本気で思っていた。

実家の暮らしをやめたのは、社会人になってからのこと。実家を出た理由は、独り立ちをしたかったから。当時は親の力を借りずに生活を成り立たせることは当たり前のことだと思っていた。

親からの支援を一切受けずに、自分の力で生活をする。

最初は大変だったけど、慣れてしまえばなんともない。掃除に洗濯、料理などある程度なら自分でできるようになった。だから1人でも生きていけるなんて思っていたけど、難病になって、助けてくれる人なしでは生きていけないと知った。

5年も経てばできるようになるのは当たり前のことだからすごいことでもなんでもない。ただ親のすねをかじることができるのなら、出来るだけ親に甘えてもいいとも思う。僕には頼れる親がいなかった。母は21歳の時に死別し、父にはお金がなかった。だから家を出たというシンプルな話だ。

実家を出てから5年。実家にはもう誰も住んでいない。取り壊しになったわけでもない。家に入ろうと思えば入ることができる。もうあの家には戻らないと決めたから、実家の鍵は親に返したし、家に入ることはできない。

実家にはもう誰も住んでいない。だからなくなったも同然なのだ。思い出の品々、家族と共に過ごして思い出。全てがなくなるというわけではない。思い出は心の中にしまってある。実家がなくなるという事実は少しだけ寂しい。自分が勝手に出て行ったくせに何を今更って感じだけど、寂しいものは寂しいんだよ。たまには感傷に浸らせておくれよ。誰かさん。

年末年始に家族が集まる行事はここ数年行われていない。実家に誰も行っていないし、みんなで集まる場所が僕たち家族にはない。

今年初めて1人の年越しをした。今までは当時の恋人と過ごしたり、家族や友人と過ごしていたから、1人での年越しは初めてだ。人生初の1人でのお正月は、スタバで読書をして過ごした。センター試験前だからか勉強をしている学生が多くいた。でも彼らは帰る場所があるから自分とは違う。

独り身の人も確かにいた。ああ、お仲間ですかって。同情にも似た少し悲しい気持ちを抱いてしまった。突然の虚無感に襲われる。誰かと過ごすことを知ってしまったから、1人で過ごすという事実がただ寂しかった。

1人で正月を過ごすとわかったときに、「こんな時に帰るところがあれば良いのにな」ってめちゃくちゃ思った。寂しいなって。でも帰る場所が僕にはもうないから諦めるしかない。

ある日、自分が帰る実家がなくなった。

いつかはそうなると思っていたけど、いざそうなるとわかったら少し寂しい。

思い出だけは胸の中にいつまでも閉まっておこう。

あの場所での経験や過ごしたことが今の僕を形成しているんだから。

もう2度と戻らぬあの日々よ、ありがとう、そして、ごめんな。

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