見出し画像

今日、82歳の女性と話していて気付いたことがあるので書いておきたい。

うっかりして家の中で敷居に足を躓いて親指を怪我したらしい。ここで一般的に考えるのは「足が上がっていない」という筋力低下だ。そんなことは誰でもわかっている。しかしもう一つ、感覚の低下というのもあるはずだ。

とくに家の中は注意が必要だ。足元は見えているようで見えていないことが多い。高齢者に限らず、誰にでも起こりえることだ。タンスの角で足の小指をぶつけて骨折したという30代の女性を知っている。若くてもこんなことが起こる。これは単に視界の問題だ。

家の中でも左右や遠近はそれなりに見えていても、真下となるとまったく見えていないものだ。だから真下はちゃんと見て歩いているのではなく、「予測と経験」から足を上げているのだと思う。要するに、敷居の高さはこんなもん、という感覚だ。その感覚が歳をとると鈍ってくるのだと思う。

だから加齢に伴う感覚低下を予防したいと思う。

そのためには、どんなことでも良いので、目標を持ち、検証、修正することがあれば予防できると私は考えている。

内容はどんな物事でも良い。スポーツでも料理でもどんな趣味でも、あるいは家の中の掃除や片付け、どんな種類のことでもいいと思う。

目標を持つだけでは人生は変わらない

目標を持つことは昔からよく言われるけど、目標持つだけではなかなか達成できない。実行が伴わなければそのうち目標だって忘れてしまう。ただ、実行していることが正しいのかもっと効率よい事があるのか、あるいは間違っているのか、といった検証がとくに必要なのだ。

検証して間違いを見つけることができれば修正すればよいだけのこと。それすら分からなければ、目標達成はきっと難しいはずだ。

と、なんだか小難しいことを書いてしまったが、私はそんな偉い人ではない。文章化するとこうなってしまっただけで、考え方はとてもシンプルなはずだ。

その82歳の女性とは時々一緒にプールへ行く。なかなかバタ足がうまくできない。だからクロールがゆったりと泳ぐことができない。じゃあ、こんなことやってみてはどうだろう? と、私が課題を出してみる。挑戦する。できない。できるようにするために少し変えてみる。もう一度やってみる。この繰り返しで、少しできるようになってくる。すると本人はとても嬉しくなる。だから泳ぐことが楽しくなってきたという。

実行→検証→修正→少しできると嬉しい→実行→検証→修正→できると嬉しい→

文字化するとこうなる。そう、どんなことでも同じことなのだ。とりあえずやってみてうまくできなければ修正して、もう一度やってみる。その繰り返しで段々できるようになり、上達できるものだ。

ただただプールへ行って泳いでいるだけでは、今回のこの楽しさを得ることはできない。目標を持ち実行し、修正し、達成できていくことが分かるから楽しくなっていく。これまたシンプルな話だ。

水泳で例を挙げてみたけど、仕事でも趣味でも家事でも何でも基本は同じではないだろうか? 趣味を持つことはとても良いことだ。しかし、ただ楽しんでいるだけなのと、もう少し上達したい気持ちで取り組んでいるのとでは、その先の人生に大きな違いが出ると思う。

人生という制作物を創意工夫できるのは自分だけ

「創意工夫(そういくふう)」という言葉がある。私の好きな言葉のひとつだ。今あるものに満足せず、自分流にアレンジするともっと使いやすくなる。そんな創意工夫が私は好きだ。それが人生という大きな制作物だとしたらどうだろう? 日々のことでも創意工夫することでつまらないことが楽しいことに変化できる可能性はある。

冒頭の話で「感覚の低下」ということを書いた。こうやって創意工夫していると、自然と感覚が磨かれると私は思うがどうだろう? 考えるかどうか? やってみるかどうか? 一歩前へ出るだけのことできっと世界が変わる。私はそう信じている。


サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。